大和但馬屋日記

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「機械的」といふと大抵は柔軟さに欠けた融通の利かない判断に対して使はれる言葉であると思はれる。さて、この日記はこの通り手書きで認められてゐて、この書付けられてゐる文字たるやとてもではないが綺麗な字とは言ひ難い。所謂トメハネや書き順も凡そ出鱈目である。ではこれを機械的にテキストに変換したらどうなるか。
この通り。読点が二つピリオドと認識され、「い」が「〜」になり、「テ」が郵便番号マークになつた以外は普通に変換されてゐる。これが「機械的な変換」の結果である。機械風情がこれくらゐ問題なく字を読んでくれるのに、なんで人間が他人の書いた漢字のトメハネや書き順に目くじらを立てる必要があらうか。必要などなく、ただ意地悪をしたいだけなのだ。試験といふ優劣をつける仕組に上手く対応することにのみ人生の学習期間の大半を費す価値観が当り前になつてゐるから、誰でも(機械にすら)読める文字の形にまで些細な正誤があるかの様に思ひ込んで、木の根つこが跳ねてゐるかどうかなんて詰らぬことに気を遣ふ様な機械以下の判断力を身に付けてしまふのだ。真に馬鹿げた話だとは思はないかね。