大和但馬屋日記

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yms-zun2012-03-30

で、先週末に買つて以来何も書いてこなかつた「新・光神話パルテナの鏡」。これはもう何といふか、「パルテナの鏡がこんなに面白いわけがない」。うわー陳腐。
任天堂だつて箸にも棒にも掛らない駄作をリリースすることはある訣で、言ふまでもなくファミコンディスク版「パルテナ」がそれに当る。音楽の良さだけが救ひの、しかし心底つまらないゲームだつた。なんでも京都の某社が開発した聞いて、まあ間違ひなくさうであらうと納得するしかない様な、そんな出来でも何故か欧米人には受けがよくて、日本未発売のゲームボーイ向け続編なんてものが存在したらしいが、よく知らん。昔の俺にとつて「パルテナ」といへば桜玉吉の「しあわせのかたち」の一篇がほぼすべてであつたのだし。
そんな「パルテナ」を今頃掘り返して、さてどんなもんかと様子見してゐたらやたらと評判が良いので慌てて買ひに走つた訣だ。
で、遊んでみたら噂に違はず面白いではないか。「パルテナの鏡」がこんなに面白い訣がないのに。「よくできたボリューム感」が俺にはちよつと重たいので「Project mirai」や「シネモラ」に寄道しがちだが。かういふのを重たく感じない時分に出会へてゐたら尚良かつたな。これを十全に楽しめるだけのキャパシティが、どうも今の俺には足りなさうで辛い。
ゲーム中に間断なく流れ続けるパルテナ様(久川綾)とピット(高山みなみ)の掛合ひを聞いてゐると、それこそ「しあわせのかたち」をそのままゲーム化した様にすら思へなくもない。まさかそんな訣はないけれど、さう思ふと少し楽しい。
マップ探索に倦んでニンテンドーeショップを覗いたらバーチャルコンソールの「メトロイド」があつたので、そちらに逃避。この「何もない」感じが心に優しい。いや、単に予め行くべき場所と取るべきアイテムを最小限度に絞り込んであるから何も考へなくていいだけだな。これを「ゲームで遊んでゐる」と言つてはいけないのだ。ただ楽な方に逃げてるだけだ。