大和但馬屋日記

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「自分の時間」といふだけあつて、自転車を転がしてゐる間はまあ色々なことを考へる。それらをちやんと文章にでもすれば毎日さぞや濃密な日記が書けさうなものだが、何せ百分間もあるものだから大抵のことには頭の中で決着がつくか思考が飛んで有耶無耶になるかしてキレイサッパリどうでもよくなる。座褝組むのと同じ、なのかどうかは知らないが。外からの入出力に依存しないで自己完結ばかりしてしまふといふのは、なんつふか、純度の高い引籠りと変らんのではないか。