大和但馬屋日記

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帰つた。静岡県を一本で横断できるのだから東海の乗継ぎも随分便利になつたものだな。

iPadに触発されてといふ訣でもないが、青空文庫iPhoneアプリ(Skybook)で読書を試す。喰はず嫌ひしてゐた程には道具として悪くないので、明治〜昭和初期に書かれたものをこの際読み進めよう。それに意味があるか否かは道具ぢやなく自分の問題。

触発されたのはむしろ薩埵峠で拝んだ富士山からだといふことで、万葉絡みの文献を求めてみたら正岡子規の「萬葉集卷十六」が面白かつた。古今集以後への口を極めた罵倒ぶりも見物だが、実は自分も同じ巻十六あたりから毎日一首づつ面白い歌を日記に採上げてみようかなどと考へてゐたこともあるのだ。まあ生来のズボラにより考へるだけで終つてゐたのはともかく、ワシの思ひ付きなど所詮百年遅れであつたのだな。実家にあつた新聞の朝刊に、その子規の歌が一首紹介されてゐた。

足立たば北インヂヤのヒマラヤのエベレストなる雪喰はましを

成程、この「萬葉集卷十六」に子規自ら記す万葉歌の特徴を忠実に実践してゐるのが良く分る。

且つ萬葉卷十六の特色の滑稽に限らざるは前にいへるが如し。複雜なる趣向、言語の活用、材料の豐富、漢語俗語の使用、いづれも皆今日の歌界の弊害を救ふに必要なる條件ならざるはあらず。歌を作る者は萬葉を見ざるべからず。萬葉を讀む者は第十六卷を讀むことを忘るべからず。

正岡子規 萬葉集卷十六