大和但馬屋日記

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yms-zun2010-01-20

で、地震発生12時間くらいまでの行動としてはトイレ用に水を貯めるってのは、あながち間違いじゃないよな、と。
(中略)
まぁ、オレが転がってたのが、震災時に人々が集まる病院てのもあって余計に、なんだけど、でも夫婦に子供2人位の家族が朝に排出する量を考えると、とりあえず水を確保して個別の生活環境を衛生的に保つのも間違いじゃないよ、と。
その水を貯める行為が、他の人の迷惑になるって?
や、その場合は、困ってる人に自分が確保した水を分け与えましょう、ってのが正解じゃないかな。つか、そういうの、あの現場では結構見られたことだと思うんだが。
過剰な気遣いで近所一帯だれも水を確保してなくて、っていう状態の方がよほど悲惨な気がするよ。
3日以降はまた別になると思うけど、域外からの援助がいきわたり始める3日間は、そんな間違ってないと思うな。
※強調は引用者(たじまや)による

タヒチでの - ウスイ スウプの日記

ヒートアップして両極端な価値観の押付け合ひになると、かういふごく当り前の視点が抜け落ちてしまふんですよね。といふか、これが当り前であつて欲しいなあ。強調部分は自分には衝撃的ですらあつた。
「災害後に水を溜めておくべき」「べきでない」なんていふのは硬直した原則論であり、運用的視点が抜け落ちてゐる。地震が起きた、でもまだ水は出る、ぢやあ確保しておくべきか否か。それが他の人の水を奪ひ取ることにならないかなんてのは、その時の状況によつて変るのだから一概に「どうすべきか」なんて言へるものではない筈だ。
原則論は原則論で必要だけど、原則に反したからどうかうなんて、事が起きた後には無意味なんだし。実際問題として、ぢやあ普段から水を溜めておけるかといふと難しい。自分もたまに風呂桶に常に水を張つておかうと試みるけれども、これ、常に実践しようと思ふと経済的にも衛生的にも難しいよね。しかも、いざ事が起きたときに本当に役立つといふ保証すらないんだ。家ごと潰れたらアウトなんだし。うちはその確率が高いんで貯水はあきらめた。
「普段から水を溜めておくこと」を完全に実践しようと思つたら、「何があつても絶対に壊れず倒れず、事後に誰でもアクセス可能で中の水も永久に腐らない貯水塔」みたいなものを作つておくしかない訣で、まあ、絶対に無理。個人でできる備へなんて限界があるのだから、事が起きた後に慌てず騒がずその場での最適解を求められる様でありたいと願ふしかない。