大和但馬屋日記

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ロケットまつり

ええと何回目だつけ。
レギュラーの松浦・笹本・浅利各氏がそれぞれの著作の出版を間近に控へ、つまり皆修羅場を脱した後なので珍しく全員揃つた。そして久しぶりに林・垣見両氏がゲスト。相変らずお元気な様子で何より。
メインは例によつて某所より発掘された百八個のダンボール箱から出てきたアレコレを肴にダベる会。花火を見たり、ロケットの発射に欠かせないといふ謎の御守りが希望者に配布されたり。
糸川研にあつたといふタイガー計算機の実物とか。後に電計算機も導入されたが、「結局計算尺に行きついた」。
東大が富士精密に頼らずに作つたといふ公式記録に残らないペンシル「のやうな」ロケットのランチャーの写真なんてものまで出てきた。
あとはM-Vのラストフライト見学の様子。初めて射場から離れた場所で見たといふ垣見氏、「いやー、離れて見るのはいいもんですね」。「お二人は近くで見過ぎです」とツッコむ笹本氏らメンバーは以下略。
そこからまた昔の失敗の話。ラムダ(だつけ?)が失敗して内之浦から上空に上らず九十度の角度で飛んで行方不明になつてしまつた。その日には折悪しく英国海外航空機空中分解事故が起きてをり、テレビでそれを知つた関係者は「まさか撃墜したのでは‥‥!?」と色を失つたといふ。「もちろんそんな訣ないんですけどねー」と林氏。ところでそのロケットは結局どこへ行つたのだらう。
当時は打上げの際「アイスクリーン」なる飛翔角度を目視するボード越しに見て、その角度を逸脱した場合危険と見做し自爆させるスイッチを持つた係の人が居たのだが、その人はスイッチを押せなかつたさうだ。「そりや、俺だつてそんなボタン渡されて押せるかつていふとなー」と笹本氏。「何人かに持たせて同時に押させて、誰のボタンで爆発したか分らなくすればいい」と松浦氏、ちょ、その仕組は‥‥
後半は浅利氏が一人質疑応答の体で「垣見さんから見て、直に接する糸川英夫とはどんな人物だつたのか。設計の際にどんな話をしたのか」といふ話に。この辺り、聴いてて面白かつたのだけど半分寝てしまつてよく覚えてない。残念。
まあ、とにかく色々無茶を言はれたらしい。で、「労ひはあつたんですか?」「ありません」「焼鳥持つて霞ヶ関を廻りはしても、垣見さんには何もなかつたんですね」。かういふ話は林さんからは出て来ないよなあ。
最後は「かういう話を松浦氏が本に書けばいいのに」と笹本氏が焚きつける。まあ、本当に、やるなら今しかないし、やるなら松浦氏しか居ないし、やるなら今村さん超がんばれ。
次回は七月七日か八日。その頃には本も出来てますかね?