大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

ARIA The NATURAL #21

銀河鉄道話。
うあー。何がワシをこれほどまでに困惑させるのか。今回、映像的演出面の水準は高い。ここのところの「ARIA」は一時の低調ぶりが嘘の様に堅実な演出を見せてくれる。その点に文句はなく、故にこの日記としてはここで話を終へた方が良いに決つてゐる。しかし、しかしだ。これは何なのか。
OPの時点で予感はあつた。アバンタイトル銀河鉄道の存在を夢想する灯里。そのまま眠りにつき、画面はOPへ。アクアの夜に生きる猫、猫、猫。姫屋のヒメ社長も夜空を見上げる。その視線の先にあるのはきつと銀河鉄道だらう。そんな神秘的な雰囲気もどこ吹く風と、アリア社長の縫ひぐるみに咬付く練習に余念のないまぁくんが微笑ましい。本当に、レベルの高い演出だ。しかしOPの締めに現れた夜空が、ワシをかつてない混乱の渦に叩き込んだ。

アクアの月?

何ですかこの天体は。アクアの空にこんなものはありません。コミックス九巻の月見エピソードをも全否定しかねないこの絵は何なのか。
ワシが何を言つてゐるか分らない人は、アクアといふ星がテラフォーミングされた火星であるといふことだけ知つておいて下さい。答は自づと明かになる筈だ。少なくとも天野こずえは自らさういふ設定にした意味を知り、きちんとエピソードに生かしてゐる。
この、フォボスでもダイモスでも有得ない巨大な天体が何を表すのか、困惑したワシは一回目の視聴を集中して行ふことすらできなかつた。二度目に見返して、これはこの後に起る不思議現象が全て灯里の見た夢であるといふサインなのだと理解することにした。さうでもしないと、この後の話をとても受容れられない。
OPに見たもう一つの予感。それは脚本・吉田玲子のクレジット。今回の物語が猫妖精の話であることは当然知つてゐる。吉田玲子と猫妖精。甦る第七話の違和感。その時、ワシはかう書いた。

「猫の王国」は灯里にとつて「時折何かの切掛けで迷ひ込んでしまふ素敵な場所」以上のものではない筈。しつこく障壁を乗越えてまで行かうとするものではないし、「呼んでる気がする」とか「来て欲しくないのかも」などと勝手に一線を越えて相手を慮るやうなものでもない。脚本が無駄に饒舌すぎるからをかしなことになる

要は、灯里と猫妖精の距離の取り方を少し見誤つてないかと思つた訣だが、今回はそんなものではなかつた。それどころか、その距離感こそが話のテーマとなつてゐた。
曰く、猫妖精(ケット・シー)はアクアの心であると。地球出身で、アクアから見れば他所者である灯里がアクアのことをより知りたいと願ふのと同様に、アクアも灯里のことを知りたがつてゐるのだと。しかしお互ひ付合ひ方が分らずに一歩づつ足を踏出してゐるのだと。
あー。‥‥ごめん、ついて行けん。なんぼなんでも話を大きく重くしすぎ。前回の様に灯里が危い目に遭はうとしてもアクアの意志が助けてくれるとか、何だそれ。「Dの食卓2」ですか。世界は私のためにありですか。距離の読合ひとか、まるで如何にも閉鎖的な女児コミュニティの様でもあり、息苦しい。大きいもの(星や自然*1など)とちつぽけな個人を対比させた時のスケール感のとり方が、これでは全く趣味に合はない。何より脚本が独り善がりに解釈しすぎて、こちらの想像の余地を奪つてしまつてゐる。頼むから「ARIA」を私物化しないでくれまいか。
猫妖精を星の意志といふことにしたり、舟を擬人化してみせたり、この吉田のセンスはどうなのだらう。申し訣ないがワシは良くないと思ふ。
といふ訣で、流れてゐる絵の楽しさに酔ひつつ話には辟易するといふ極めて困つた回であつた。冒頭の巨大天体はやはり「ここから先の話は嘘だかんね」といふサインなのだと思ふことにしたい。

*1:アクアの場合それがすべて人工物だとしても