アニメ版「ARIA」を他と同じくただキャラがわいわいやつてて楽しいといふ視点で観るならば、今季一番の仕上がりだつただらう。「作画」も良かつた*1し。さすが佐藤順一コンテだね、良かつたね。続きは読まなくてよし。
アニメ版「ARIA」の不幸は―少なくともワシにとつては不幸だ―、佐藤順一が監督に起用されたところにあるのだらうと思つたよ。互ひの長所を打消し合ふ組合せでしかないんぢやないか、これは。
佐藤順一お得意のキャラクター芸をさせるには、「ARIA」世界のキャラは薄すぎる。今回でも前半のごく一部での見習ひ三人組の掛合ひは十分楽しいものだつたと思ふ、しかし使へる尺もネタの幅もあれが精一杯だつたらう。毎週あの様なやり取りが出来るほどのネタの仕込みが普段から為されてゐるわけでないから、あつといふ間に弾が切れてしまふ。その弊害は前回の様なキャラの深みに踏込むエピソードを上手く使ひ切れない点にも現れてゐるが、まあそれは別の話だ。
ともあれ、佐藤順一の上手さが「ARIA」では引出せないといふことが一つ。では「ARIA」の良さはどうかといふと、それはもう今までに散々書いてきた通りだ。今回監督直々のコンテといふことで注意深く見たけれども、佐藤順一は「キャラに何かをさせること」以外の方法で映像に説得力を持たせるセンスをそもそも持合せてゐないのではないか。今回ほどカットの繋ぎ方による空間演出力が問はれる話は無い筈なのに、舟の進行方向一つとつてみてもてんでバラバラで、「一本道を進んだだけなのに異界へ迷ひ込んだ」といふ状況が絵で説明出来てない。ただ時間を埋めるだけのカットがだらだら続くばかりで、状況はすべて台詞で喋らせてしまふ始末。結果、灯里がただの電波ちやんでしたといふ話に内容が変つてしまつた*2。
映像と台詞が補ひ合ふのではなく、お互ひの本分を喰ひ合つて台無しにしてゐる。その構造は各話演出とアイのモノローグの関係でもあり、ひいては「ARIA」といふ作品と佐藤順一監督の関係をそのまま映し出してもゐるのではないか。