大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

憤まみれ

ニンテンドーDSのCMに出演してゐる宇多田ヒカルが、Xbox関係のイベントに出てあらぬことを口走つたことを自サイトの日記で暴露して、なんか大騒ぎになつてるらしく、「芸能人として失格」だの「契約を何だと思つてる」だのと喧しい。例として任天堂は宇多田ヒカルとの契約を終了してはどうか - 忍之閻魔帳とか、といふかここしか見てない*1けど。
で、なんで自分と関係ない他所の誰かと他所の会社の契約のことでこれほどまでに怒りを露にできるのかと、そのことが不思議でならない。任天堂が怒つて契約を切らうが容認して継続しようが、オレ達には何の影響もない。全くない。彼女の行動自体はそれあ迂闊だと評されても仕方ないにしても、その迂闊さで実質的に迷惑を蒙るのは任天堂マイクロソフトだけだし、それに対してどう判断し行動するかも両社次第だらう。私憤と公憤の取違へとも言へるが、そもそも私憤だとしたら根拠がない。だつて他人事だもの。
たまたま日常的にテレビに出てるだけの赤の他人や企業に対して私憤めいた感情を覚える理由は何なのか。歌手としての宇多田ヒカルの歌に惚れ込んで、そこに感情移入するのは分るけど、歌つてない時の歌手は自分と関係のない、ちよつと迂闊かもしれない赤の他人だ。好いたり嫌つたりする意味もないし、その人の生立ちと絡めてまで何か言ふなんてそれこそどうかしてる。自分が同じことされたら、誰だつて「そんなの関係ないだらう」と抗弁するだらうに。
どうも世の中、自分以外の他者が自分にとつて完璧な存在でなくてはならなくて、さうでない部分を見つけては叩くといふことが多すぎる。「○○のことは信じてたのに、××なのは許せない」とか言つて、では手前が許さなければどうだといふのか、みたいな。JR西日本の件然り、去年のはてな住所登録騒ぎ然り。そんなの、相手を信用してることにはならないよ、つか元々信用してなかつただろと。裏切りとは信用があつて初めて成立つものであり、信じてもないものに対して裏切られたとかいふなよ、本当に信用してたなら簡単に裏切られたとかいふなよ、まして当事者でもないことに何言つてんの、そこで叩いて何が出てくんの、とか何とか。だいぶズレてきたな。
思考が纏まらないけど、要するに契約といふのは当事者間で結ばれるものなのだから外野が怒つたつて何したつてどうしようもないんだつてことに、「契約違反」云々言ひたがる人は思ひ至らないのかと思つた。ついでに、当事者が怒つたとしてもそんなの自分とは全然関係ないことにもな。

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