大和但馬屋日記

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新貨が旧貨を駆逐した

先月から、五百円玉がポケットに入つたら使はずに貯めるといふことを始めてみた。特に目的のないただの思ひ付きではあるが、貯まれば貯まつたで嬉しいものだ。で、既に二十数枚が貯まつてゐるけれども、見ると旧五百円貨が一枚もない。日常のイメージとしてはまだ何枚かに一枚は旧貨が混じつてゐるやうな気がするが、少なくとも今年に入つてから旧貨を手にしたことはないとはいへさうだし、よく考へたらもう旧貨を見なくなつてずいぶん経つのかもしれない。
町を歩いてゐて新しい建物が建つたのを見ると、かつてそこにどんな建物があつたのか思ひ出すのも難しくなるのと同じやうな感じで、意識はいつの間にか新しいものに塗り替へられてしまう。いや違ふな、意識と現実のずれが何かの切掛けで明かになるといふことか。
さう思つて改めて財布を見たら、もうほとんどが新札になつてゐる。市場に流通する貨幣がほぼ完全に置き換るのに必要な時間は意外に短いやうだ。
それより怖いのは、貯まつた五百円玉がすべて本物だらうな? といふ疑念からどうしても逃れられないことだ。