大和但馬屋日記

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二十年前の すごい ドキュメント

大和但馬屋日記を見れば分る通り、オフコースが好きだつた。最初に興味を持つたのがこのグループだつたのが幸なのか不幸なのか、その後音楽全般にまで興味の幅が広がることは結局なかつたが、ともかく五人で活動してゐた頃の曲なら「超ウルトライントロドン」で出題されても大丈夫なくらゐよく聴いた。「僕の贈りもの」と「めぐりあう今」は同じイントロだから間違ふかもしれないが、たぶん聴き分けられる気がする。
そんな頃に「若い広場『オフコースの世界』」が放映されたものだから、当然の如くそれは観た。観ただけでなく、ラジカセに繋いで音だけテープに録つて、これも聴き倒したものだ。しかし、所詮はボンクラ中学生、画面に映つてゐるものが如何に凄いものであるかは結局理解できなかつたと思ふ。
そして今、実に二十三年振りに「NHKアーカイブス」で同じ番組を観た。凄い。馬鹿みたいな言葉しか出ないけど、もう、本当に。
番組は後に「over」といふタイトルで発売されるアルバムの制作風景をメインに、ライブ風景やインタビューを交へるドキュメンタリー。「over」は前にも今日のアルバム(三月七〜八日) - 大和但馬屋日記で書いた通り、その身も蓋もない完成度が好きでありつつも閉口してしまふといふアンビバレントな感想を今では持つてゐるが、それほどのものが生み出される過程が映像に残つてゐるのが何とも凄い。最初はどの曲の原形なのかも分らないセッションプレイが段々と知つてゐる曲の断片になつてゆき、最後に歌が入る。しかし、まだ歌詞が違ふ。「哀しいくらい」だとかうだ。

番組中
僕の間違いは 少しの優しさと 哀しすぎる 愛を見てきた心
いつも言葉が足りなくて それでも君は笑っていた
完成形
僕の間違いは 哀しすぎる 幾つかの愛を 通り過ぎたこと
いつも言葉が足りなくて 君は息を止めて 僕を見てるだけ

慣れのせゐでもあらうが、やはり後者の方が洗練されてゐるし、緊張感があつて、かつメロディを伴つた時に耳当りが良い。もちろん「推敲」とはさういふものだから誰のどんな作品でも似た様な例はあるだらうが、他人のそんな過程を具に見られる機会はなかなか無いものだ。それだけでもこの番組の意義は大きい(但し前掲の曲の完成形は実際のアルバムを聴くしかないが)。
インタビューを務めるのは山際淳司。彼はこの番組のためだけでなく、後に「GIVE UP―オフコース・ストーリー*1」と題されて出版されたオフコースの解散ドキュメント本の執筆の為に当時ずつと張り付いてゐた様だ。つまり、この時点で「解散」は目の前にある現実だつた。番組ではその様なことはお首にも出さなかつたが(しかし「over」といふアルバム名は暗示的だ。その前のアルバムは「we are」。つまり、その時点で終りは意識されてゐた)。その後彼らはさらにアルバム「I Love You」と、何だか分らないドラマビデオ「NEXT」を作り、それらの作中で強烈に解散臭を散りばめ、本当に活動を休止した。一年ほどして四人で活動を再開した時は喜んだが、やはり違ふ何かに変つたことで急速に熱は冷めてしまつた。
今番組を見ながら、「この裏で圧し掛かつてゐる筈の『解散』といふメンバー共通の心の重石が、何故かうも曲作りを邪魔しないのだらう」と不思議に思ひつつも、「それがあるからこそここまでのものが出来たのかも知れない」といふ風にも感じる。物作りの動機とか、モチベーションを保てる理由なんてさう簡単には推し量れないし、語られてゐる言葉が全て真実などでは有り得ないからだ。
あと、全然関係ないことだが、当時の小田和正のインタビューに答へる口調や仕草、特に「目」が、誰かに似てゐるなと思つた。さう、佐藤琢磨にそつくりなのだ。理屈と感性を高いレベルで融合させて結果を出せる人間は、自然に似てくるのかもしれない。そんな事を思つた。