大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

どちらが正しくても結論は同じ

社会主義とジャーナリズムは似ている。その理想とされる姿が、原理的に存在し得ないといふ意味において両者は同じだ。前者については歴史的に一往の結論が出たが、後者はどうだらう。「真のジャーナリズム」なるものをジャーナリストが追ひ求めるのは大いに結構だが、原理的に存在し得ないものを崇めるのは普通、宗教といふ。オレは宗教といふものを全く否定しないけれども、信仰者は自らの信仰について自覚的であるべきだと思つてゐる。信者に自覚がない宗教はカルト的で恐ろしい。

と言ふかさ、「報道者は、自分自身で完璧にバランスを取つて、完全に公正・中立な報道をやりなさい」だなんて、報道者の完全性を想定した非人間的で無茶な規定だと思ふよ? 皆當り前のやうな顔をして論じてゐるけれども。

全く同意。繰返すが、そんな前提は原理的に存在し得ない。そしてこれは、報道者を政治家に置換へても同じである。マスコミは政治家のことを自分自身で完璧にバランスを取つて、完全に公正・中立でないと言つて非難する。有得ない前提で他人を非難しながら、自らはその前提に恥ぢない存在であると世間に公言して憚らない彼らは恥知らずである。