大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

逆の事例もあるからややこしい

これは結局、不確かな状態、最悪の事態を想像して、それに備えて行動を最適化することだといえるが、不確かなものを受け入れたくない人に、受け入れろ、というのは難しいかも知れない。

文全体の論旨には同意しますと前置きした上で、その「外挿能力」をいたづらに発揮して他人の行動を不必要に制限したがる人もゐるからややこしいんだよなあ、とも思ひました。私憤と公憤の境界が曖昧な人とか、公憤は絶対に正しいと思ひ込んでゐる人とか。私も人のことは言へませんかね。
さういふ場合、大抵は本人のみが自分のことを「外挿能力がある」と思ひこんで、実際は自分の考へを勝手に外部に拡張してゐる*1だけなのであつて、それはmutronixさんの掲げる「外挿の能力がある人」には当て嵌まらないでせうが、まあこんなことを思ひ出したのでメモしておきます。

*1:「世間共通の価値観とか、美意識で充分対応可能」とか言ひ出す