大和但馬屋日記

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無題

復活の地 III(小川一水,ハヤカワ文庫JA,ISBN:4150307709)復活の地〈3〉 (ハヤカワ文庫JA)

全三巻の最終巻。買つてきて、一晩で読んだ。時節柄、感想を書くより先に色々と持つて回つた前置きをしなくてはならないのだらうが、敢へてそれは省かう。今さらそんな分りきつたことを書いても仕方がない。それにしてもなぜ書影が出ないんだ。書影出た。また出なくなるやもしれんが。
一言で言つて面白かつた。毎度のことながら、様々な社会層で起り得る様々なことどもを見事に描ききつたその筆致に舌を巻いた。前巻でも同じやうなことを書いたと思ふけれども、それが真骨頂なのだから何度でも書く。
しかしそれはそれとして、やはりこの本が発売されたタイミングについて触れないわけにはいくまい。それはとても狙つて出来ることではない、全く稀有なものだつた。最良と表現すると不謹慎極まりないし最悪と言へば嘘になる。ただ事実として、二度とないタイミングだつた。もちろん、二度目はない方がいいに決つてゐる、これは本心からさう思ふ。ともあれ店頭からの回収・配本停止などといふヒステリックな措置が(私の知る限りでは)とられなかつたのは、作品に取つては幸ひだつた。
そんな形容し難いタイミングだからこそ、小川一水の描く作品世界と現実との隔たりが、今回ばかりはいつもより大きいものに感じられた。現実世界で見せつけられた、あの凄惨な状況に乗じて起きた人の心の醜さ行ひの愚かさを思ひ起こせば(もちろんそれが現象の全てではないにしても)、この第三巻の後半で起きた出来事はフィクションといふよりもむしろファンタジーとしてしか受け止めやうがなかつた(文脈上こんな書き方になつたけれども、フィクションとファンタジーが対立項であるわけがないことは承知してゐる)。
これはあくまで娯楽作品であるから、徒に現実に対する教訓などを引出すやうな読み方はすべきでない。ないけれども、やはり現実に起り得る問題に対するフィクション側からの回答の重さ軽さについてあれこれ考へを巡らさずにはゐられなかつた。このやうに感じる限り、例へば如何にして日本は大東亜戦争に負けなかつたかを扱ふ類の所謂架空戦記ものを楽しむことは、オレにはできさうもない。