大和但馬屋日記

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鈴鹿伝説'94

ビデオに録つてゐたものをDVDに焼きながら観る。
この年がオレにとつて初めての「生F1」。土曜の夜に寝袋をぶら下げてサーキット入りし、自由席をいろいろ物色して、立体交差に場所を定めた。ところがこれが大失敗、スプーンまで足を伸ばすべきだつたと後悔したものだ。
立体交差にしたのは「車が二回拝めるから」といふ理由だつたが、何せ視界が狭い。デグナーは裏ストレートの向うだから見えないし、ヘアピンの進入も自分のゐる丘が邪魔になる。裏ストレートはといふと右側の200Rの陰からフルスピードで飛び出すマシンが一瞬で橋を渡つて左側の丘に消えてしまふ。上手いとか下手だとか、速いとか遅いとかの比較のしやうがない席であつた。激しくおすすめできない。
そんなこととは露知らず、しとしと降る雨の中、濡れる路面を眺めながら寝袋にくるまつて朝を待つ。夜入りなので、当然まだF1を目にしてゐない。本当にここをF1が走るのか、半信半疑になりながら一人過ごしたあの夜を、オレは一生忘れないだらう。
朝。ウォームアップ。左側の山陰から聞えてきたのはヤマハV10だつたか。夢の様な三十分間。
セナの追悼セレモニー。黄色縞のヘリコプターがコース上を巡回し、サーキット中に響き渡る「IN THIS COUNTRY」。オレが見に来ようと思つたら、セナはゐなくなつてしまつた。その代りを務めるのは途中参戦のマンセル。'80年代後半を代表する四人衆の最後の生残りを見られるだけでもよしとしよう。それよりも気になるのは、マイケルとヒルのチャンプ争ひだ。ポイントはマイケル優位、ポールポジションも獲得してここでチャンプを決めたい。しかしヒルも二番手に食ひ下がる。
雨の中のレーススタート。しかしすぐにホームストレートでハーバートや右京が止まり、数周でセーフティカーが導入されることに。セーフティカー方式はこの年から導入されたのだと思ふ。雨の中、のろのろしたパレードを眺めさせられるのは正直たまらん。
状況が落着いて、再スタート。ところがコース上ではスピンやクラッシュが相次ぎ、ブランドルの事故にコースマーシャルが巻込まれて救急車が出動するに至つてレースはつひに赤旗中断。この時点で十周以上を消化してゐるが、その大半はセーフティカーの先導によるパレードランだ。
イモラの悲劇、モナコの惨劇。この年のF1は暗黒史に塗固められてゐるが、ここでもまた。ハッキネンはインタビューで「このコンディションで走りたいのはマイケルとデイモンだけだ」と語る。プロストが出走を拒否し、結局レース途中に赤旗で中止となつた'91年オーストラリアGPに匹敵するコンディションだとも。実際、テレビでは触れてゐないが、このブランドルの事故の直前には短時間だが池の底が抜けた様な土砂降りがあつたことを記憶してゐる。
それでも興行は優先され、雨足が弱まるのを待つてレースは二ヒート目がスタート。一ヒート目のタイムとの合算による、時計勝負の始まりだ。セーフティカーの先導によるローリングスタート、マイケルは依然トップをキープ。しかしこの年から始まつた給油を伴ふピットストップの間に順位が逆転。逃げるヒルをマイケルが追ふ展開となる。マイケルは一ヒート目に数秒のアドバンテージを築いてゐるため、見かけと順位が一致しないのがややこしい。テレビならまだいいが、サーキットでは常に腕時計とにらめつこだ。
中盤以降、最後まで魅せてくれたのはアレジとマンセルの三位争ひ。終始テールトゥノーズ、マシンはウィリアムズが優つてゐてもフェラーリがパワーで突き放す。コーナー進入で襲ひかかるマンセル、超レイトブレーキングで逃げるアレジ。130Rの進入時、雨のせゐでブレーキポイントが橋の上まで後退してゐるのだが、そこでいつもアレジとマンセルの間がガバッと開く。この目でアレジの「キレた走り」を見られたと言ふわけで、それだけでも個人的には大満足です。アレジは神。それにしてもこいつら、たぶん一ヒート目のタイム差とか覚えてないだらうなー。
終盤、タイム差でヒルを抜いたマイケルがまさかのピットイン。給油戦略のミスだらう、この間にヒルが再び逆転。マイケルも最後のスパートに賭ける。もう車なんか見てられない、目の前のポールを基準に通過する両車のタイム差を見るのが精一杯だ。一周につき一秒以上のハイペースで差を縮めるマイケル。凄い、凄いよ。残り三周、五秒差。いけるか。どうか。残り二周、四秒差。無理か。
ヒルがトップでチェッカーを受ける。しかしまだわからない。マイケル、ゴールイン。どつちだ!? ヒルだ! こんなに白熱したレースはさう滅多にない。目には見えないが、92年モナコにも匹敵する凄まじいバトルだつた。
最後のシケインでは、つひにマンセルがアレジをパス。マンセルは案の上これで三位になつたと思ひ込んでゐたらしい(笑
セナを欠いたF1は、それでもこんなに面白いぢやないかといふ気分で鈴鹿を後にしたオレ。しかし続く最終戦アデレードで、我々はこの悪夢の一年を締めくくるのに相応しい、最悪のアクシデントを目にすることになるのだつた。