大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

対立構造といふ病

Empty Talk:2003-11-15経由。
元記事の言ひたいことは理解できるが、全面的には頷けないところがある。「日本アニメは、このままでは韓国に負ける」の声といふ見出しに象徴されるその論調が、そもそもをかしい。
勝ち負けつて、何よ。さふいう価値観でしかモノ作りができないなら、そんなものは滅んで当然だ。
事実、現在の日本のアニメ制作はは韓国の制作スタッフの力に多くを頼つてゐる。企画・コンテ等はまだ日本主導だが、いづれ力をつけた韓国のクリエイターが自らの作品を多く作る様になるだらうし、日本にもそれらの作品が流入してくるだらう。当然だ。しかし、それは「負け」なのか?
作品の根底に流れる国民性とか文化とかは、どうしても他国では模倣できるものではない。ある国で受ける作品は究極的にはその国で作られるものだし、その中でもとりわけ優れたものは他の国でも評価されやすい状況にある、といふのが妥当なところだらう。
現在日本のアニメを作り続ける韓国の制作会社は、そのうち自分たちの作品で手一杯になり、日本の作品の制作を依頼しようにも引受けてもらへなくなるに違ひない。さうなつた時、空洞化した日本の制作現場が再び力を取り戻せるかどうか。元記事の煽る危機感に対してさういふ意味では同意するが、それはあくまで日本の中の話であつて、「負け」などといふ次元の話に落してしまふと大事なものを見失ふのではないか。
とか、usui_soupさんと酒を呑みながら語つたことを再構成してみた。