大和但馬屋日記

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隠し馬

F1 MODELING vol.17(山海堂)のフェラーリ639特集。日本のF1関連出版の中で、今こんな車の特集をやつてのけるのはこの雑誌くらゐのものだらう。大変嬉しい。

このマシン、正確にはF1マシンとは言へないかもしれない。F1規定に則つて製作されたといふ意味では歴としたF1マシンだが、一度も実戦を経験してゐないのだ。
1988年、来るべきNA時代を翌年に控へ、フェラーリは実戦用のターボ車F187/88Cとは別に、3500ccNAV12エンジンを搭載したテスト用マシンを作つた。639と呼ばれたそれは、F1史上初のセミオートマチックトランスミッションを装備してゐた。今となつてはもはやハイテクデバイスとも見倣されないほど常識化したが、この時はまさに「秘密兵器」だつたことだらう。
翌'89年、639のデータを外観ごとそつくり受継いで、640がデビュー。640は当時のフェラーリの慣例通りF189の名でFIAに登録された。F189はデビューの開幕戦でマンセルの手により劇的に勝利*1。新時代の幕開けを予感させたが、その後セミATとV12エンジンが仇となり、結果を出せなかつたのは前にも触れた通り。それでも翌年、641及び改良型641/2(F190)がもう少しでマクラーレンを打倒するところまで力を付け、期待は高まつた。しかし続く'91年、642が不振を極め、シーズン途中で投入された643までもがプロストに「まるでトラックだ」と評され*2、639系シャシーの命運は遂に尽き果てた。
日本がF1バブルに浮いてゐたあの頃、確かに主役の一翼を担つた名車の祖となる、Fナンバーを持たないフェラーリ。今の目で見ても十分に美しい。

*1:このレースで639はスペアカーとして登録され、フリー走行で数周を走つたさうだ。知らなかつた

*2:この発言でプロストはシーズン途中にしてチームを追放された