大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

河岸を変へてみる

昨日の日記http://d.hatena.ne.jp/yms-zun/20030215のコメント欄のid:dacさんとのやりとりが思ひの外長文となつたので,脱出。dacさんの日記http://d.hatena.ne.jp/dac/20030216#1045322711で全文引用されてゐるので,こちらではそれに呼応する形にさせていただきます。
内外の区別についてコメント欄の方でネタじみた書き方をしましたが,少し掘り下げます。
自分が,あるいは相手が,何らかのコミュニティを背負つてゐる(と錯覚してゐる)場合には信頼の有無どころでない話になりがちです。内に向けては盲目的な崇拝,外に向けては剥き出しの敵意。
そこまで大きくならなくとも,「マイ常識」を疑はず,いつの間にか周囲に敷衍してしまふことがあるやうです。「○○なんてそもそも知らないし」「人間関係も今イチ見えないし」云々。いづれもいつの間にか某コミュニティが「敵の集団」と見なされた感があります。

常識の肥大の一つには、個人の自由の拡大解釈、若しくは過信の話を持ち出さざるを得ないでしょう。
(略)
何故、そうなるかと言えば個人の自由を多数決による民主的解決に強引に掏り返れば論理立てる必要が無くなると判断しているからでしょう。

判断以前の思考停止である場合も少なくないのでは。おつと,かういふ物言ひが「ある陣営」を一括りにして非難することに繋がるわけですね。
はてなダイアリーの話に立ち戻りますが,ベータテスターの第三次募集が終わつたところで累計500名のユーザーが存在することになるわけで,当然ある程度の色分けが出来てくると思ひます。それは避けがたいことですし避ける必要もないでせう。また,私とdacさんの繋がりや,dacさんと某方面の方々の繋がりなど,従来あつた関係性がそのまま持ち込まれるのも当然のことと思ひます。※便宜的な表現。「某方面」なる集団が定義されてゐてdacさんがそこに含まれてゐるといふ意味ではありません。念のため。なんといふか,難しい。
どうなつて行くのかはわかりませんが,どこぞに対抗して「はてなダイアリー村」のやうなものが形成されるかもしれませんし,誰かが過度に状況をコントロールしようと躍起になるかもしれません。さういふときに,少なくとも自分の立ち位置を見失はないやうにせねばな,と思ふわけでした。派閥争ひに巻き込まれるのはまつぴらですからね。
#それにしても話の進みが早いなあ。従来なら一日単位のやりとりになるのに。