大和但馬屋日記

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何も考へんボーッとしたうちのまま

昨日からの雪と酷寒に外へ出る氣は消え失せた。「MAD MAX:fury road」のモノクローム版を觀たかつたのだがこの雪で茶屋までは行けぬ。どこにも行けないので家でものの本をめくりながら「この世界の片隅に」について考へ續ける。
この作品が描いたのは、監督の言葉を借りれば「暜通に暮してゐるすずさんといふ女性の上にも飛行機がやつて來て爆彈を降らせてしまふ」日常といふことになる。では何故さうなつたか。日本が世界を相手に戰爭を仕掛けたから? まあさうだ。では何故戰爭を仕掛けたのか。そして仕掛けた戰爭で追詰められて敗けたのか。それを一言で纏めるならば「リソース確保に失敗したから」となる。リソース即ち燃料だ。戰時中の標語に「ガソリン一滴血の一滴」とあるが、結局さういふことだ。それなりの經緯があつて、結果として我が國は世界から孤立し、經濟的に立行かなくなつた。戰爭をしたから物がなくなつたのではない。戰爭をしなくては物がなくなることになつてしまつた。少なくとも當時はさう理解された。
そして戰爭をして、當然の歸結としてますます物がなくなつた。すずさんを通して描かれるのはその状況である。交通網が未發達だから流通手段も限られる。自由に物が行來できないから配給制になる。金があつてもなくても物がないから野草を摘んで献立の足しにせざるを得ない。米も足りないから粥や楠公飯などの節米料理で文字通り水増しし、それを炊くにも火無し焜炉なるもので凌がなくてはならぬ。木炭バスは坂を登れず、朝に少し寄道をしただけで鐵道の切符は賣切れる。どれもこれも理由は同じ。ガソリンも石炭もないからだ。それら高效率のエネルギー源は軍に優先的に囘されて、しかしそちらも全然足りないから、傷ついた青葉や利根等の艦艇も呉の工廠に歸って來たままろくな修理も受けられず放置された。航空母艦にはもはや載せる飛行機もなく、呉の港は行き場のない軍艦の溜り場となった。艦の好きなお兄さんのことが大好きな晴美ちやんが港を見て喜んだのは、さういふ艦で港が一杯だつたから。東泉場のヤミ取引で見た西瓜の栽培が禁止されてゐたのは、他の作物に比べて大量の肥料を必要とし、その結果得られるものがただ甘いだけであとは水氣しかなく日持ちもしないからだらう。甘い物、樂しい物が制限されて「贅澤は敵だ」と言はれたのは必ずしも精神論から來てゐるのではなく、本當に餘裕などなかつたのだ。さうして港に動けぬ艦が集結してゐたから、そこへ飛行機が飛んで來て爆彈の雨を降らせた。迎へ撃つ高射砲は、山向うから來る飛行機の爲に街のある方角へ向けて撃たざるを得なかつた。どれもこれも、物がないから、燃料がないから起きた事。
そこへ到るまでの外交上の判斷に幾つも誤りはあつただらうが、兎も角も最終的にどうにもならなくなつてゐた。その時點で敗けるしかない戰爭であり、やつた方が良かったなどとはとても言へないかもしれないが、かといつてやらなければ良かつたかどうかも判らない。ただ、やつてしまつたことは大變な痛みを伴ふことだつた。それがあの時代の「現實」であり、この作品が描いたのはその「現實」の一つの姿だつた。それを見て、導き出す己れの答が「反戰」の一言で良いのだらうか。
戰爭は嫌ですねと言へば、それあ誰だって同意するだらう。ではそれを囘避する爲に何かを諦めなければならないとしたら、それは簡單に諦められるのか。我慢はどこまでできるのか。戰爭の爲に何かを我慢するのは嫌だと人は言ふ。では戰爭を避ける爲にもつと我慢しなければならないとしたら? さういふ事態まで想像して、尚も反戰を唱へられるのかと今人に問へば皆口を揃へて「できる」と言ふだろう。しかしいざ本當にさういふ事態になつた時に同じことを言へるかどうか。逆に、さういふ事態になつて尚同じ事を言つてゐるのが妥當なことなのか。自分の中に簡單に答へを見出してしまへる様な話ではない。平時に戰爭を語ればそりや「嫌だ」「駄目だ」で話は終る。平時でない時にどうなるか、そしてどうして平時でなくなるのか。どこかに惡い人が居るから、だつたらどんなに樂でよいか。
戰爭責任が云々と言ふが、當時の日本人のすベてに責任があるといふならそれは何なのか。産業革命後の世界經濟の中で、他所の國の暜通の人竝みに物質的に恵まれた状態にあつて「皆で笑うて暮らせればええのにねえ」と望むことが罪なのか。笑ふのをやめて、暮すことを諦めれば戦爭は避けられたのか。假に日本が戰爭を仕掛けなければあの時代の世界のどこにも戰爭が起きなかつたのかといふと勿論そんな訣はないし、さうすることで當事者として矢面に立つこともなく濟んだといふ保証もない。少しはマシだつたかもしれない、もつと酷いことになったかもしれない。「過ぎた事、選ばんかつた道は夢と變らん」「誰かの夢は誰かにとつての惡夢でもある」。
悲しくて悲しくてとてもやり切れない、なのであつた。