大和但馬屋日記

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yms-zun2010-07-07

ああ、でも、台詞をどう読むかつて話になるとまた少し違ふのかな。漫画を読んでる時やゲームの会話のテロップを読むときみたいな。そつちの方向でもう一度考へてみた。
例へば漫画を読むときどうしてるかといふと、どうなんだらう、自分の場合やつぱり台詞はフキダシごとに一瞬で「読んで」しまつてゐる。目で文字を読みながら、頭の後ろの方で「声」は聞こえるのだけど、それは実際の音声ではないから通常の会話のスピードではない。あくまで思考のスピードになる。
ゲームの台詞も大体同じ。目に入る文字の分量が限られてゐるから、「読む」速度は思考の速度に等しい。音声付きの場合でも、文字送りが声に合せた速度になつてゐない限り先に文字を読んでしまつてゐるし、声に合せた文字送りは「ダルいなあ、気持ち良くないなあ」と思つてしまふ。まあ、この辺は誰でも同じだよね、と思つてしまふのだが、やはり人によつて違ふのかもしれない。ともかくも自分の主観では、音声なしに話す速度で文字送りをされたら、単純に読みにくいだけだと思ふ。
で、ここからが本題だ。昔「アイマス」を買つてきて遊び始めた時は、「いちいち声なんか聞いてられっかー」とばかりに台詞を文字だけで読んでスキップしてた訣だ。で、すぐに遊ばなくなつて積んだ。だつて面白くないんだもの。今ではもちろん、すべての台詞を飛ばさずに全部聞いてゐる。飛ばすなんてとんでもない。脳内においても、「テキストを先に読んで同じ台詞を耳で聞く」といふプロセスが破綻なく処理できる様に出来上つてゐる。声と文字は相互に補完しあつてゐるから、どちらかが不要といふ話にはならない。
だからといつて、例へば映像作品の台詞に全部ゲームの様な字幕が付けばいいといふものでもなくて、結局、メディアの数だけ表現手法があり、それぞれに応じた「読み方」が訓練されるといふだけのことなのだと思ふ。楽しみ方もそれで変つてくることがある、と。
結論が当り前すぎたかな。