大和但馬屋日記

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餘程の天才ならできることかもね

AT-Xで半年くらゐ遅れて放送の始まつた「クロックワーク・プラネット」。アニメの評判が惡いのは知つてゐるし第一話を觀た限りその評判の通りだと思ふし、改善の餘地があるかと言へばまあないと思ふ。でも俺は原作小説のコミカライズ版を結構樂しんで讀んでゐる。漫畫として讀む分にはさう惡いものではない。漫畫に比べてアニメの出來が惡いかといふととても良いとは言へないかもしれないが、そもそも出來の問題ではないと思ふのだ。
富野由悠季氏がよく口にする「アニメの性能」といふ言葉が便利なのでここで援用させて貰はう。つまり「クロックワーク・プラネット」を表現するにはTVアニメのフォーマットは性能不足なのだ。別に「クロックワーク・プラネット」がアニメなんかでは表現できない程凄いとか高尚とかつて話ぢやない。ただF1マシンを救急搬送には使へないくらゐの意味で、用途とメディアが合つてないのだ。
漫畫や小説*1で書き飛ばしてしまつてゐる部分がアニメにする際には重要で、しかしそれを眞面目に描冩するには相應のカロリーが必要で、かといつてそこにカロリーを割いてしまつては明らかに作品内容として割に合はないことになる。結局漫畫程度の情報量でしかアニメを作ることができず、結果としてポンコツアニメが出來上る。正直、アニメとして作るべきではなかつたのだと思ふ。
こちらとしては變らず漫畫を樂しみにしておかう。氣が向いたら小説も讀まうか。

*1:讀んでないけど、たぶん