大和但馬屋日記

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ろくよん昔話

ニンテンドークラシックミニ スーパーファミコンが發表された。先行するミニファミコンと違つて今囘はコントローラーがオリジナルと同サイズになる。正直、これには落胆した。コントローラーまで含めたミニチュア感が良かったのに、これが普通ならそれはただのゲーム機ではないか。ミニチュアサイズで問題ないことはミニファミコンニンテンドースイッチJoy-conが証明濟だ。
ソフトのラインアップは自分としては「パネルでポン」専用機となるのだらう、といふ豫感。シューティングゲームが「スターフォックス」「スターフォックス2」しか入つてないし、「スーパーアレスタ」も「奇々怪界 謎の黒マント」も入つてなければ後は殆んど思ひ入れがないから。スーパーファミコンの當時、俺は他のプラットフォームに夢中だつたのだ。「スターフォックス2」は當時完成しながらも發賣が見送られたタイトルださうで、今まで存在が公だつたかどうかは知らないが少なくともROMファイルの流出などは聞いたことがないから興味はある。業界周辺で仕事をしてゐると「作つたものの御蔵入り」なんて事例には事欠かないので、二十餘年を經て世に出るなんて倖せなことだなと思ふ。
任天堂で御蔵入りといへばニンテンドー64版「MOTHER3」があるが、それを作つてゐる裏でもう一つ別のタイトルが志半ばで闇に消えた。俺が大阪から東京に送られたのは元々その仕事の爲だつた。今から丁度二十年前のことだ。「MOTHER3」と同じ樣にゲーム畑でない人が出したアイデアをゲーム畑の人達が苦勞して纏めた仕樣やグラフィックに對して、我儘に基く駄目出しを散々繰返した擧句、當初のプロジェクト滿了豫定日になつても仕様が半分も固まつてゐないといふ状況に到つてプロジュクトはそのまま頓挫した。CG班として中に入つた自分の會社は資料にあるキャラと背景だけはとにかく全部作つて納品したといふ體栽にして仕事を「完了した」。空しいものである。
MOTHER3」は故岩田氏が居てもどうにもならなかつたさうだ。こちらには岩田氏の様な天才も居らず、取捨選択の出來ないディレクターが総花的なアイデアを出すだけ出して何も纏められることなく放り出され、後には何も遺さずに終つた。宮本氏が何とか繼續を望んだといふ話も聞えてはきたものの、當のディレクターがゲーム作りより本來の自分の畑の仕事に夢中だったからどうしやうもなかつた。
"MOTHER 3"
MOTHER3」は糸井氏のサイトで宮本氏や岩田氏を交へた總括が爲された上にGBA版として復活したのだから、これもまた倖せな話だ。こちらは誰も總括なんてしない。その「MOTHER3」の反省會の中でタイトルがポロッと語られて終りだ。あとはこんな愚痴しかない。
スターフォックス2」とはあまり關係のない話になつてしまつたが、全く無關係でもないが故に取留めもなく思ひ出してしまつた。世に出ない仕事なんて他に幾らでも經驗してゐるから、別にこれだけが特にどうといふ訣でもないのだけど、とはいへこれが自分にとつては最初の大きな一發であつた。あれから學んだのは宮崎駿ぢやないけど氣持で物は作れないし氣持で人を動かしちやいけないつてことかな。