大和但馬屋日記

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言文一致の果ての歪み

百三十年くらゐ昔に言文一致運動といふものがあつた。それまで口語と文語に分れて久しかつた日本語の、文語を排して書き言葉を話し言葉に一致させようといふ運動によつて書き言葉も口語體で書かれる樣になつた。それ自體の是非はさておき、まあ概ね好評裏に受け容れられたその一方で、思はぬ副作用が顕れた。それは、口語體か文語體かは文體の違ひでしかないのに、「文字すらも書かれた通りに讀むベきである」といふ、まあさうなるのも當然ではあるが實はあまり根拠のない誤解を生じたのだ。
誤解のままに書かれた通りに讀まうとしたら、そのままでは讀めないものだから、それまで根付いてゐた假名遣を書き換へてしまつたのが「現代かなづかい」といふものだ。文體を「發明」した後は假名遣まで發明できると思つてしまつた訣だ。この名前が「現代かなづかひ」でも「現代かなずかい」でもないといふ二重基準を含んでしまつてきまりが惡いものだから何十年も後に改訂したのが現行の「現代仮名遣い」だ。表題から「づ」の字を隠してごまかしたのだ。
言文一致運動と現代假名遣が「書かれた通りに讀むべし」といふ誤誘導を起した結果、自分の經驗で言ふと例へば江戸東京博物館で「蒙古襲來繪詞」に描かれた「てつはう」を「て」「つ」「は」「う」と讀むビデオに出くはしたり、高校の日本史の教師が「死なう團事件」を「し」「な」「う」「だんじけん」と讀んでしまふのを聞いてさういふものだと思つてしまつたりするし、「今日からマ王*1」のオープニング主題歌「果てしなく遠い空に」の様な珍妙な歌ひ方を耳にする羽目にもなる。この歌は多分、本人達は一語一語を丁寧に歌つてゐるつもりなのだらうが、結果として目茶苦茶なものになつてゐる。
吉田玲子氏の脚本に現れる「そらー、合格だよ、ご、う、か、く!*2」や「後退します! こ、う、た、い!*3」といつた臺詞囘しも、この言文一致の逆方向への援用が元になつてゐるといへる。それが惡いとはあまり言ひたくはないが、不自然な力により生じた歪みであることは認識しておきたい。
「ご、う、か、く」や「こ、う、た、い」が變だと思ひながら「でもそれが正しいのだらう」と安易に納得してしまふ人は多からうが、皆知つてゐる通り「合格」は「ごーかく」「後退」は「こーたい」と讀むもので、「う」と書くからといつてその通りに讀むものではない。言文一致とは「書かれた通りに讀む」ことでは決してないのだ。

*1:マは〇にマ

*2:カレイドスター第一話

*3:ガールズ&パンツァー劇場版