大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

描直しが駄目だつてんなら

まづは「めぐりあい宇宙」の存在を否定しなくつちやね!! 安彦氏が体調崩したにも関らず番組を最後まで作り上げた現場スタッフに失礼だ!!

つか、アニヲタがスタッフを恫喝とかして作画し直させたつてんならともかく、OVA化に際して描直しするのを決定したのはあくまで制作側。なのにヲタの方に向いてどうかういふのは、つまり何でもいいから今時のヲタを馬鹿にしたいだけの話だよね。
かういふ時に「しねばいいのに」つて使へばいいのかしらん。
つかうつのみや騒動の話と「なのはA's」の作画修正の話はレイヤーが全然違ふ様にしか見えない。それを一緒くたにしてるのがこの記事の変なところ。

も少し考へを進めてみる

こちらの方で時代の変遷についても書かれてゐて、これが概ね妥当に思へるから余計に元記事のをかしさが際立つて見える。
時代が遷つて何が変つたかといふと、マーケティング手法とかなんとかもあるけど、まづはこの二つだらう。

  • 作り手側のクオリティアップ
  • 受け手側の目の肥え具合

どちらも必ずしも同じ層が年をとつていくわけではなく人の出入りが大幅にあるわけだが、パラダイム的なものとして、どちらもが相互に作用しつつ底上げされていくものだらう。
八十年代以前のアニメを今の我々の目で見れば、制作技術や演出技法的な古さはもちろんのこととして、なにより品質のバラつきが目に付く。それは当り前の話で、業界自体が成長途上であり、あらゆるテクニックが蓄積されてゐる最中だつたからだ。進化の途中にあるすべてのものは、さまざまな異形を生み出しながら可能性を探る余地がある。
しかし九十年代前半あたり、アニメが商品として成立し始めた頃には技法的な部分がある程度成熟に至り、またファン層も拡大したことによつて見る目の基準がある程度画一化されてきたのだと思ふ。
作り手側から見れば受けるストライクゾーンが大体絞り込めてきた、受け手側から見れば良いとされるクオリティの基準が大体固まつてきた。一度その世界全体がさういふ風に成熟してくると、あとは中の人間にしか分らない微妙な差異を発見して喜ぶゲームの始まりになる。別にアニメに限つた話ぢやない。
例へばF1。古いF1ファンはどうしても七十年代後半から八十年代初頭までの、エアロダイナミクスの発見によつてマシンが異常進化を遂げた時代を懐かしむ。あるいは八十年代後半のセナ、プロスト、マンセル、ピケの時代の再来を求める。確かにあの頃は良かつた。時代のどこを取つてもそれは「個性」だつた。セナがイモラに散つてシューマッハーが後を受け、ロリー・バーンとエイドリアン・ニューウィのデザインしたマシンしかチャンピオンを獲れない時代になつて、さうした一切の個性は失はれた。でも、それは、仕方のないことだ。物理的に理論が煮詰まつて、本当に微妙な差異の中で一番最適解に近づいた者でなければ勝てなくなつたんだから。個性で勝てるなら誰だつてさうしたい、でもそんな時代ではなくなつた。
アニメ然り、ゲームも然りだ。それらの場合、あくまで「商売として失敗しない方法論」に立脚してるわけだから、古いファンからみてさういふ状況が「つまらんなあ」といふのは仕方がない。でも、それは「最近のファンが云々」いふのとは違ふんぢやないかな。
まあ、それとは別に、ウェブでよく見かけるアニメ感想の見識の高低について思ふところはいろいろある。感想の最後に必ず「作画は安定」とか「作画は微妙」とかコメントが添へられてゐるのをみると、ワシだつてもにょる(その評価が妥当か不当かに関らず)。でもさういふのつて一時の流行であつたり、誰かが始めたことがスタンダードになつただけであつたりするんぢやないかと思ふし、さういふ部分に興味のないワシの方が偉いとかいふ話でもないし。
といふか、昔は今の様にアニメに対する仲間内以外の雑多な感想を見聞きする機会が滅多になかつたから、アニメ誌や同人誌やパソ通のログなどに残された見識の高い意見や感想が規範として広まつたのだらうけど、今はさういふ時代でもないから。たぶん、二十数年前にブログがあつたら、「ガンダム」のルナツーの回とかククルス・ドアンの回に「作画は微妙」とか書かれてたはず。
OVAの古典として高く評価される「バース」なんかでも、あれが商品として大ヒットしたかといふと、そんなことはないんぢやないかなあと思ふ訣で。ワシはあんなの金を払つてまで観たくなかつたもん、当時から。どんなに作画が凄くても面白くないものは面白くないし。でも、当時あれを「面白くない」といふ感想を誰かが洩らしたとしても、それは「金田伊功のアクションが素晴らしい」などといふ「スタンダードな評価」に掻き消されて作品評価としては広まらなかつただらう。今はさういふ一言「つまんない」とだけ書いたものが他人の目に触れる機会がある。でもそれは風潮とはあまり関係ない気もする。
今アニメと実況板を同時に見て「キター」とか書いてしまふのは、いはば「笑点」とか「吉本新喜劇」とかの客席で、ギャグの面白さ如何に関らず「笑ひどころだから笑ふ」といふのに近いと思ふ。アニメの作られ方もさういふ客層に合せたものになつてゐるのだとしたら、個性が評価される時代ではなくなつてゐるんだよな、とは思ふ。
話がぶれまくつたので整理する。思つたのはかういふこと。

  • 時代が変つた、といふ認識はその通りだと思ふ。
  • 作り手と受け手の最適解を求めるスパイラルが今の状況を生んだのだと思ふ。
  • したがつて、「最近のファンが僅かな差異を許容しなくなつた」といふ見方は一方的過ぎる。
  • 昔は見識の高くない感想が表に出る機会が少なかつたので、最近になつて風潮が変つたかどうかは大いに疑問。
  • もちろん風潮が変つてないわけはないけど、古い人間が「しねばいいのに」といへる質の話ではないだらうそれは。
  • 2006年08月03日 wonder_wonder anime
  • 2006年08月03日 brainparasite gundam, 映画 そうか、作画修正の原点はあれか。
  • 2006年07月27日 REV