大和但馬屋日記

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今日のゲーム(七月二十日)

ジオメトリーウォーズ(Xbox360,Microsoft)

「完全なビデオゲーム」といふものがもしこの世にあるとしたら、それに最も近いのは「ジオメトリーウォーズ」ではないか。
「ジオメトリーウォーズ」はそれ自体で完結してゐる。ゲームの外にある如何なるものをも模倣してゐない。「ジオメトリーウォーズ」のプレイヤーは、宇宙の平和を守るために戦はない。愛する者の命を守るために立上がらない。誰かの心を射止めるために思ひ悩まない。事件の犯人を探さない。世界の変革を求めない。アイドルを育成してスターにしない。カーライフを満喫しない。「ジオメトリーウォーズ」のプレイヤーは「ジオメトリーウォーズ」をプレイする。それ以上でもそれ以下でもない。
「ジオメトリーウォーズ」は基本的なルールと数種類の敵のアルゴリズムとその出現頻度だけが定められ、それ以外の部分で制作者が恣意的な介入をしない。「練りこまれたマップ」も「絶妙な敵の配置」も「優れたAI」もない。もちろん協力や対戦の相手も居ない。
「ジオメトリーウォーズ」はプレイヤーのスキル上昇がゲームの中でデメリットをもたらすことがない。小賢しく難易度を調節するためにわざとミスをしたり、パワーアップを途中で止めた方が良いなどといふこととは無縁である。死なないために、倒す。倒せば倒すほどパワーアップするが、倒せば倒すほど敵の攻勢が激しくなる。倒せば倒すほど得点効率が上昇し、残機が増える。攻撃力の上昇と、敵の攻勢と、得点効率。それらのバランスを支へるのは、己の生存能力の高さのみ。このバランスが崩れた途端に真逆様にゲームオーバーへと転落する。プレイヤーは高みを目指せばそれでいい。仮令その先に待つのが転落のみであつたとしても。何のために昇るのか。答は一つ。落ちるためだ。
「ジオメトリーウォーズ」はゲーム内の目的をいくつも設定しない。スタートしたら最後、プレイヤーのやることは一つである。生き延びること。生き延びるためにできることも一つである。敵を倒すこと。敵を倒す手を休めてまつたりとした時間を過ごす余裕など精々序盤にしかなく、さうしたところでXbox Liveの実績がひとつ解除される以外に得することは何もない。
「ジオメトリーウォーズ」は自機の全滅によるゲームオーバー以外の理由でゲームを勝手に終了しない。高みに昇つた者を、高みに昇つたが故に祝福しない。
「ジオメトリーウォーズ」はプレイヤーに「ジオメトリーウォーズ」を遊ぶこと以外に何のメリットも及ぼさない。脳は若返らない。身長も伸びなければ体重も減らない。いきなり大金持ちになつたりしない。
「ジオメトリーウォーズ」は「ジオメトリーウォーズ」を遊びたいといふ以外の衝動をプレイヤーに植付けない。破壊衝動を目覚めさせない。性欲を持て余させない。食欲を誘はない。眠気を催さない。
「ジオメトリーウォーズ」は「ジオメトリーウォーズ」に触れることでしか楽しめない。キャラのイラストを描いたりバックストーリーを二次創作したり音楽を聴いたりなどといつた、直接そのゲームに触れる以外の時間にも楽しめる要素が一切ない。ゲームを離れて「かういふ場合にはかうすれば良いのではないか」とあれこれ対策を講じる必要もない。
そして、「ジオメトリーウォーズ」は凡百のゲームより面白い。
以上だ。

  • 2006年07月20日 firestorm ここまで愛されるなんてゲームも作った人もしあわせだろうなあ。おいらもこれぐらい愛してあげたい。
  • 2006年07月20日 nekoprotocol !, カッコイイ すごくやりたくなった。かっこいい文章。ほんとかっこいい