大和但馬屋日記

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『何気ない演出』と『効果的な風景の見せ方』

yms-zun2006-04-17

id:deeper:20060416:1145192618で疑問を投げかけられたと思つたので、具体的に「どうだつたら良かつたのか」について少し考へてみました。引用として許されるであらう範囲で画像を使用します。画質がアレなのはキャプチャでなく投影面の撮影だからで、しかもデジカメが電池切れなので携帯電話を使つたといふ手抜ぶり。おかげでDLP特有の色の干渉縞が写る始末。まあ、あくまで批評目的なのでむしろこの方が良いでせう。

その一

前半の、二枚目の地図を頼りに小路(カッレ)から小広場(カンポ)へ初めて出たカット。

  • ARIA#14_cutA

この話の骨格の一つとして、ネオ・ヴェネツィアには無数の小路と広場があり、それらが交互に現れることで街の景観が形作られてゐることを灯里が初めて実感するといふものがあります。カッレからカンポへといふ視点移動の役を果すこのカットでは、しかし何故か建物の屋根からパンダウンしてこの画像の位置でカメラを止めてしまひます。「丁度着きました」の台詞に三人のフレームインを合せる意図は分るけれども、空間の対比が今ひとつだと思ひます。
同じパンを使ふなら先に広場に着いた三人にカメラを向けて、そこから横に振つて空間を見せつつ続く台詞に合せて噴水をフレームインさせる方が効果的。贅沢を言へば迎へのカメラではなく、横か後ろから狙ひたいところですが、それは高望みでせう。この後も大道芸人や広場で遊ぶ人の点景はありますがカメラは一貫して寄り気味なので、最後まで視る側に具体的な空間の把握はできません。最初のパン一つでどうとでもなるのに。

その二

続いて三人はサンマルコ広場へ。

  • ARIA#14_cutB1
  • ARIA#14_cutB2

街の中心であるこの広場に着いたカットが、この一枚目。鐘楼一つでさうと知らせる意図はともかく、手前の列柱のパースくらゐは合せられないのか‥‥
二枚目はカフェの紳士と灯里が和んで話をしてゐるところでの俯瞰。これも同様で、「世界一美しい広場」の話をしてゐる時にこの絵で良いのかと。描込みのレベルはこれで十分としても、かうも大胆に狂つたパースを見せられては説得力が落ちてしまふといふもの。
そもそも無理に俯瞰などにせず、例へば振向いて風景を見渡す灯里をナメてややぼかした遠景を横スライドといつた視点があれば十分でせう。私の言ふ「灯里が見ているのと同じ景色を」といふのはさういふことで、ディテールなんかは多少潰れてもいいから「場」を見せてほしいなと。この俯瞰はただ説明的なだけで台詞の補強にもなつてません。

その三

クライマックスのカット。捜してゐた宝物とは、このネオ・ヴェネツィアを一望できる景色でした。

  • ARIA#14_cutC1
  • ARIA#14_cutC2

狭ッ。
と思つたのは、白フェード明けの一枚目。ここは二画面分くらゐ横にスライドする(画像はその中央)のだけど、何故か三人の頭も一緒にスライドしてゐる。おかげで空間がペタンコ。これなら、キャラの大きさをそのままに背景を縮小して左右幅一杯に入れて、余つた縦幅の分は空を大きく入れて止メ絵にした方が余程広く見えます。横のスライドがただの段取りにしかなつてゐない。さらに言へば、このカットには近景がありません。もう一枚に見える手前左右の緑の木、これをなぜこのカットには入れなかつたのか。
多分、意図としては一枚目のカットが三人の心象風景、後のカットが状況説明といふことなのでせうが、だとしたら一枚目の方には三人の頭を入れる必要は(逆効果になるくらゐなら)無かつたでせう。やはり説明的すぎて絵が台無しです。私としては後のカットと先のカットの順序が逆でも良かつたと思います。

その四

「その三」のシーン直前の、「無理に盛上げなくて良いから」と思つた部分。

  • ARIA#14_cutD1
  • ARIA#14_cutD2

暗い階段の先にあるものに引かれて駆け下りる灯里、それを追ふ藍華とアリス。全作画で動かし切つた三人の絵はそれあ眼福ものだつたけれども、その合間に度々挿入される俯瞰の家並みが全くの余計でした。全作画の枚数に限界があつて尺が余るのだとしても、階段の外にカメラを置いてしまつては折角の緊迫感が損はれるし、何より直後(その三)の風景のインパクトすら弱めてしまひます。
これも多分、暗い階段はこの家と家の間の木のトンネルの下にあるんですよといふ説明なのでせうが、そんな何十メートルも下つたら出たところも随分低くなるでせうとか、そんな暗いところで走つたら危ないよとか、要らざる隙を作つただけでせう。
結局のところ、今回絵コンテと作監を担当した人が自分の見せ場を用意したかつただけといふ風にしか感じられず、私としては全く不要のシーケンスでした。特に直後のシーンを考へずに家並みを空から見せてしまつた罪は大きいです。
ではどうすれば「何気ない演出」になるのかといふと、――これは禁じ手にしたかつたのですが――コミックス三巻のままで良い、と思ひました。「この道にお空の別世界なんてあつたつけ?」と台詞にある通りに今まで気付かなかつたものが、少し路地を降りただけで眼前に広がつてゐた、そのコントラストが表現できてゐれば満足したでせう。「後宮小説」ぢやあるまいし、わざわざ取つて付けた様にトンネル潜りの通過儀礼ゴッコをさせる必要なんてここではありません。さういふのは猫妖精の時に取つとけば良いのです。

最後に

こんな風に具体的にカットを挙げて「ああすればかうすれば」と添削気取りで論ふのは、本当は邪道だと思ひます。出されたものに何かを言ふだけなら幾らでも言へる。
それでもまあ、一度かういふ形で示しておけば自分が何を観たいと思つてゐるかの確認にもなるので、恥を晒すつもりで上げておきます。
自分は「ARIA」に対しては作画レベルはそこそこで良いから魅力的な街を見せて欲しいと願つてゐます。もちろん全話において、などとは思つてないけれども、今回の様に街そのものが主役の時くらゐは、少しばかり高望みしたつて良いぢやないか、ねえ。