大和但馬屋日記

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教へて偉い人

奈良時代には概念のなかった「怨霊」「物の怪」が登場するようになり、特に貴族は、まじないや占いなどにより、生活にも支障が出るようになる。

奈良時代には概念のなかったといふところがどうも引掛るんですが。さう言つてしまつて良いのかしらん。キーワード:奈良時代にも気になるところはあつて、それは書き改めてみたのだけど。
そもそも早良親王の祟りを嫌つて長岡京から平安京に都の造営を切換へたのだし、さうした怨霊を忌み嫌ふやうな概念がその時突然出現した訣でもないのであつて。俗説かもしれないけど長屋王の祟りで藤原四兄弟が病死したとか。俗説と学問上の定説の切分けがワシにはできなくて歯痒い。
政治的な怨霊信仰の起源を何処に求めるか、といふ話なのかな。井沢元彦に言はせれば奈良の大仏もさうだといふことになるし。つか、もともと呪ひや占ひの国だつたわけだし、その出現を平安時代の特徴とするにはどうも弱い気がしてならない。
どうしたものかなう。