大和但馬屋日記

はてなダイアリーからの移行中

はてな語り解禁

コメント欄で中途半端に絡んでしまつたので、はてなについて云々するのをやめるといふ自分縛りを一時的に解除します。自分で縛つたり解除したり、まるで馬鹿のすることですが馬鹿ですのでご容赦を。
「多分、はてなゲマインシャフト的なコミュニティである」という読みをされると、それは紹介したyukattiさんの記事の意図に反しますし、紹介した私としてもミスリーディングをした責がありますので、とりあえずその点は忘れてください。勝手なことですがごめんなさい。
はてなに何故アクセスコントロールが必要と考える人がいるか、という点についてのみ私なりの理解の範囲で説明を試みます。
まづ、スウプさんがそれは( ;´Д`)いやぁぁぁぁぁー! - ウスイ スウプの日記で仰つた「はてなの良い所って、Textが基本にある」といふことについて、全く同意します。はてなのサービスのうち、「ダイアリー」と「グループ」に関してはその通りだと思ひますし、単純なmixi化には私も反対です*1
ただ、「アクセスコントロールしたい」といふ欲求がmixiの一見さんお断り的なノリを重視していると思うといふのが私にはどうも違ふ様に思へるのです。といふか、重視するのがそこであれば、その人は始めからmixiに行つてると思ひます。
上手く表現できる自信がありませんが、「アクセスコントロールできる場が欲しい」といふのと「今使つてゐるサービスをアクセスコントロールできる様にしてほしい」といふのは、出発点が違ふのではないかと。具体的には、一年前のはてなダイアリーユーザーならまだそこまでの欲求は多くなかつただらうし、二年前ならば思ひつきもしなかつたでせう。はてな自身が「肥大化いやさ拡大」と表現したこともあるくらゐで、利用者にしてみれば「そんなつもりでユーザー登録した訣ぢやなかつたのに」と思はず嘆息するやうな勢ひでサービスの幅が広がつてゐる。嫌なら他を使へばいいと言ふことは可能ですが、現実問題として他に代りになるものがない。検索代行サービス、ブログ、アンテナ、RSSSBMと個々に切り離せば他にいいものは幾らでもあります。でも、それらが繋がつてゐるからこそはてなの良さがあるわけで。
一方で、それを単一IDで扱ふのは難しくもなつてゐる訣です。私の様に単純に「ブックマークはもう使はないよ」と宣言するのも似たような話で、アクセスコントロールといつても、結局は自分をコントロールする手段が欲しいといふことです。それをシステム側に望むのはさほど不自然だとは思ひません。さういふジレンマが現実に存在するのであれば。そして、はてなにはさういふことを要望してもよいと期待する余地がある。勿論アクセスコントロールの手段が実装されたからといつて過信はできませんが、多様なサービスがどんどん追加されつつあるはてなだからこそその様な要望が出てくる必然性があつたのだと、私には思はれます。
これは蛇足ぽいですが、私がはてなに要望したりはてなのことをどうかう言ふのを止めようと思つたのは、昔から続けてきた日記を書くといふ行為を都合よく続けるための仕組がほぼ望む形で整つたと判断したからです。だから私はこれ以上何も望まない、従つてアクセスコントロールとかも「私には」必要ないけれど、ン万人単位の「望むこと」がそれぞれ異なる以上、その部分集合を抽出するアクセスコントロールといふ概念も「全体には」必要なんぢやないかな、と。少なくとも仕組はあつていい、それを利用するか否かはユーザー次第。今までのはてなと同じです。mixiの様に、そこを否定したらサービスの利用すらできないといふものではないと思ひます。
さういふ欲求が「書き手の利便性にすぎない」といふ指摘はその通りですが、でもそれは別の問題だと思ひますよ。優れた出力がダダ漏れの結果によるものか慎重なコントロールの結果によるものかもまた別でせう。もう一つ、「ウラオモテ」については、確かに昔からさういふ嫌らしい一面はありますが、昔からあるといふことは今でもあるし将来も変らないといふことでもあります。今でも個々のサービスにはプライベートモードがある訣で、でもさういふもので大雑把に区切れるほど(自分といふ)人間は単純ではないよ、といふ話かと。最後は機微といふやつになつてしまひますか、ね。
とりあへず、纏まつてる気がしませんが、以上です。

*1:別にmixiが嫌ひな訣ではなくて自分でもごくささやかに利用してゐますよ