大和但馬屋日記

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生き延びることができるとしたら明日はどつちだ

復活の地 II(小川一水,ハヤカワ文庫JA,ISBN:4150307660)復活の地 2 (ハヤカワ文庫 JA)

全三巻予定の二巻目。
前半は一巻から引き続いて、収まるどころか尚も甚大な犠牲を出して拡大する災害の様子を描く。その一方で、混乱期を過ぎていよいよ官僚・政界・軍・そして皇室それぞれの思惑を明かにした後は一気に時間と空間を押し広げ、外交問題をも交えた政治劇へと突入していく。
相変らず、そのスケール感のコントロールぶりが見事だ。大局的な世界的視野と足下の視点のどちらもおろそかにせず、両方が密接に関りあつてゐる、それ即ち社会であるといふ当り前のことをきちんと描いてみせる。その点で所謂「セカイ系」なる作品群の対極にあると言つていいと思ふ。
少しだけ明かされた地震の原因については「やつぱりね」と「さうきたか」が半々。「でもそれつてもしかしてかういふこと?」と新たな疑念(といふかほとんど確信)を起こさせたところで話は次巻へと続く。人物に対する印象もまんまとミスリードされたことに気付いたところでちよん切れて、もう続きが気になつてしかたがない。
で、前回も書いたけどやはり通信文の文語調は変。レンカ帝国が発するものについては確かにさういふものであるかもしれないが、列強の諸外国、ことにダイノン連邦が発する文が文語調であることには何の意味もないし舞台設定にも合つてゐない。これこそ説明に拠らずに国毎の特色の違ひを出す絶好の機会なのに、もつたいないと思ふ。
第二次大戦中に大本営発表やそれを伝へる新聞等が文語による美文調の文体で通したのは、当時をして時流に即したことではなかつたのではないか。卑近な言ひ方をすれば、それは彼らが自ら選んだ「キャラづくり」の結果だつた、といへるのではないか。さう考へれば、「猫も杓子も文語調」といふのは少しやりすぎだつたと思ふのだ。