大和但馬屋日記

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万葉集四六四九番

夜露死苦と言はれたからにはよろしい,引き受けませう。
夜露死苦」と万葉集の関連を語るには当然「万葉仮名」について触れるのが正道と言へるだらうが,そちらに関してはgoogle:万葉仮名にてご自分で調べられたい。
では,なぜ「よろしく」に「夜露死苦」といふ字を当てるのか。同じ読みの感じなら他に幾らでもあらうに,なぜこの字に落着いたのか。この謎を解き明すためにこそ,万葉集の出番があるのだ。
鍵は万葉集巻二の,あまりに有名な歌にある。

大津皇子竊下於伊勢神宮上来時大伯皇女御作歌
吾勢■乎 倭邊遺登 佐夜深而 鷄鳴露尓 吾立所霑之
我が背子を大和へ遣るとさ夜ふけて暁露に我立濡れし

天武天皇が薨り,妻の鵜野讃良皇女(持統天皇)が我子で皇太子でもある草壁皇子よりも優れた人望と資質をもつ大津皇子を恐れて,大津に謀反の罪を着せ処刑しようとした。大津は逃れられぬ運命を感じ取り,伊勢斎王である姉大伯皇女のもとへ,人目を避けて今生の別れを告げに行く。この歌は大和へ帰る弟を見送る姉の悲痛な別れの歌であると言はれる。
多くは語るまい。歌の中にすべての答へがある。夜露に濡れる姉の,死にゆく弟への苦しみの心。黄泉で待つ母大田皇女や父天武帝に弟が黄泉路を迷わぬやうにしてほしいと願ふ気持ち,あるいは叔母でもある鵜野讃良に弟の助命を請ひ願ふ気持ちが「よろしく」といふ言葉に結実するのである。
‥‥なんだかとんでもない冒涜をしてゐる気がするな。ていふか,四月一日に取つておけばよかつたか。