大和但馬屋日記

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盲信しないといふこと

割と簡単に「マスコミを盲信するな」と言つてしまひがちなオレなので,どういふつもりで自分がさう言つてゐるのか少し考へてみた。
まず「マスコミ」とは何ぞやと考へるに,オレの場合新聞(全国紙+県別くらゐまでの地方紙)とテレビ・ラジオ等の放送局,そして一般向けの週刊誌等を発行してゐる出版社あたりを想定してゐるやうだ。特定ジャンル向けの専門誌などは含んだり含まなかつたりと定まらないけれど,あまり「マス」といふ感じはしないな。
で,総じて一般向けであるから,如何なる記事においても「その道の専門家が書いたわけではない」ことだけは常に意識する必要があると思ふ*1。本当に真実に迫りたいならば裏を取る方法を探るべきだし,大抵のことにそこまでする労力は払へないから,「〜とマスコミは言つてゐる」といふ理解の仕方に留めておいて,何を判断するにしてもその前提を忘れないこと。それがオレのスタンスなのだ,たぶん。
どんな情報であれ発信者や経由者,さらには受け手である自分自身が掛けるバイアスと無縁ではゐられない。オレは自分自身の知覚ほど当てにならないものはないとも思つてゐる。概して人は騙されやすいものだ。だから,マスコミであれ何であれ,すでに価値観やらなにやらひつくるめた全部が構築済みの状態で提供される情報に乗つかるのではなくて,与へられた情報から自分の思考でもつて価値観を組み立てていくことを心がけたい。それが自分の手に負へさうにないときはそのことをはつきり認めればよい(何よりこれが難しい)。
築いたものが二、三発蹴りを入れてみて*2揺るぎさうにないものであればそれを考への拠り所にもするだらうけれども,それをも崩さんばかりの外力が働いたときにどうするか。さつさと捨てて別の価値観に乗り換へるか,多少のことでは崩れないほどより強固なものに補強するか,何事も起きてゐないかの様に振舞ふのか。たぶん,その選択肢に正解はないと思ふけれど,客観的に見てをかしくない選択ができればよいなとは思ふ。
何にせよ,そもそも真実などとといふものにはさう簡単に迫れるはずがなく,何かを信じれば簡単に真実が得られると思ひこむことこそ最も警戒すべきなのではないか。「マスコミを疑へ」といふのは実は「自分を疑へ」といふことなのだらう。常に疑ひ続けるのはしんどいことだけど。

*1:専門家が書いたものなら常に正しいと言ひたいわけではない

*2:とはいふものの,自分で蹴りを入れるときに本当に崩れさうな部分は無意識のうちに避けてしまふものだ