大和但馬屋日記

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のうりん」について数日前からネット上が騒がしい。個人的にはアニメの「のうりん」は下品なギャグが寒々しく、また主役級の声優の配役に見え透いた狙ひがあるのが鬱陶しいなどの理由で肌に合はず、あまり好きな作品ではない。それはそれとして、舞台の美濃加茂市とやらはどこだらうと地図を見てみると家から五十キロ程の距離で日帰りサイクリングには丁度良い。前から犬山の方に行つてみたいと思つてゐて、そこから少し足を延ばせば十分行ける場所と分つたので漕ぎ出してみた。四十七キロを凡そ二時間半で美濃太田駅に到着した。
朝十時、小腹は減つてゐるが駅周辺に飲食店は見当らない。駅前にホテルの建物があり、その一階ロビー内に観光案内所があつた。「スタンプラリーの用紙が欲しいんですけど」と係の女史に申し出ると、奥の事務所から件のイラスト付のチラシを出してきてくれた。俺が申し出たのを皮切りに、他に二人居た俺と同じくらゐの年恰好のおつさんがそれぞれに同じ用紙を求めてゐた。チラシを見ると、スタンプラリーの企画に参加してゐる店舗が十数軒分並んでゐる。そこで五百円分以上の買物をするとスタンプが貰へる。スタンプを三つ集めて案内所に提出すると、記念品と交換して貰へるといふ趣旨である。
噂のチラシについては、まあこれを持つて外を出歩くのは普通に恥かしいデザインだと思ふ。ワンフェスコミケの企業ブースで頒布してゐる大きな紙バッグよりはマシ、といふ程度のもので、つまり絵柄がどうかうではなく大々的にアニメ絵の何かを持つて歩くのが恥かしいといふレベルでの話だ。コミケの紙バッグが恥かしくないといふ向きにはどうといふこともなからう。そんな訣だから、俺は行きたい店の目星をつけてからチラシは小さく折り畳んでサドルバッグに仕舞つた。元よりチラシには街の地図がない。聖地巡礼アプリ「にじたび」に参加店舗を登録してあるので、それを見ろと書いてある。iPhoneでそのアプリをダウンロードして起動すると、成程トップに当スタンプラリーが掲げられてゐる。便利なものだ。
アプリの地図を頼りにして、まづは駅に比較的近いところに在る喫茶店「珈琲倶楽部ペパーミント」に行つてみた。オタク男子が入るにはお酒落すぎる感じで主な客層も御婦人方の様だ。コーヒーに炭酸水を添へて「甘い物の後にロを漱いでからコーヒーを味はつて下さい」とアドバイスをくれる本格的な店でモカマタリとモーニングセットのパンケーキをいただき、コーヒーはお代りをした。映画館の予約をして、一息ついてからスタンプを捺して貰つた。
店を出た後、しばらく街中を自転車で散策した。小高い公園や木曽川沿ひを走り、旧中山道太田宿の保存区域に行き当る。御代桜なる酒蔵があつて、酒蔵開放の催しをやつてゐる。ぐぬぬ。自転車で来てゐるのでなければ。ぐぬぬ。宿場では別の催しもあつて、着物姿の女性が大勢集まつてゐた。町内会規模のバザーの様な趣きだ。因みに、これらの催しに「のうりん」要素は一切ない。街中で関連のポスターを目にすることもなかつた。
木曽川の川原に降りてみた。護岸の高さがやたらに高い。場所によつては二十メートルくらゐありさうだ。築堤ではなく、元々その深さの谷である模様で、中部地方の川の激しさを実感する。それあ、日本アルプスから下りてくるんだものな。水量あるよな。
さて、川原から上って宿場に戻り、「手打ちそば処太田の渡し」へ。宿場町の旧い家屋を利用した店構へで、出入口は四尺ほどの高さの低い引戸になつてゐて腰をかがめて這入らなくてはならぬ。中に這入ると繁盛してゐる様子。注文を取りにくるまで少し待たされて、注文した品が出てくるまではかなり待たされた。どのくらゐ待たされたかといふと振子時計が二度鳴るのを聞いたから軽く一時間以上。流石に何かの手違ひだつたのだと思はれる。会計の時に何度も頭を下げられたのでさういふことだつたのだらう。こちらとしては先を急ぐ用もなければ身体も休めたいので特に腹を立てることもなかつた。いただいた定食の莠麦と天麸羅と出汁巻は美味かつた。こちらの店内は、近隣の観光チラシやサービス案内が並んでゐる中にA4サイズほどのスタンプラリー案内のコピーがあつて、その中に数センチ程のサイズで件のイラスト入リの台紙が示されてゐた。よほど注意して見ないとスタンプラリーのことに気付きもしないレベルだし、低クオリティのコピーだからどんな絵柄かも判然としない。俺の様な参加者がそのつもりで来ない限りは何の関係もなささうだつた。ともあれ小さく畳んだ台紙にスタンプを捺して貰って店を辞した。
さて、残り一つである。協賛してゐるのは飲食店か食料品店ばかりで今は食事を済ませたばかり、さりとてロードバイクでサイクリングに来てゐる手前、肉だのパンだのといつた手荷物も買ひ難い。何か丁度いい店はないものかと探してみると、「五王」といふ店が目に留まつた。太田の市街からは随分離れた、長良川鉄道の隣駅よりさらに向うにある団子屋の様だ。距離にして四キロ以上。腹ごなしに丁度いいので走つてみることにした。
田舎町のさらに外れの小学校の向ひにある小さな団子屋は、売つてゐる物の値段がおそろしく安い。みたらし団子三十円、五平餅六十円、焼鳥一串六十円…といつた具合だ。一間しかない窓の奥で俺の母親くらゐの年恰好のオバちやんが串物を焼いてゐて、やはり同じくらゐの年恰好のオバちやんの客が二人連れで談笑してゐた。その後ろで待ちながら、この単価で五百円分も物を買はうと思つたら大変なことになるぞ…と考へてゐたら、店のオバちやんが「お兄さん、注文は?」と訊いてきたので、「スタンプラリーで来たんだけどいいかな」と訊き返した。「ああ、あれね、今朝テレビでもやつてたやつ」。客のオバちやん二人も食ひついてきた。
「紙持つてるの?見せて見せて」
「ああこれよこれ」
「これの何がいかんのやろね、オッパイかねえ?」
「これでいかんのやつたら、叶姉妹とかどうなるの、ねえ」
「入院したけどね、恭子さんだつけ?*1
地元のオバちやんの反応はこんな調子だつた。概ね絵柄についてはどうでも良ささうである。
「この紙ねえ、騒ぎになつて回収されたから今店にはないんよ、くれと言はれても出せなくて。もうすぐしたら作り直した新しいのを持つてくるらしいけど」
「それこそ税金の無駄遣ひやねー」
ご尤もである。
「それで兄さんどうするの?」
「五百円で買はうと思つたらどうしたらいいかねえ。とりあへず焼鳥を五本と団子を…」
「五平餅もおいしいよ」客のオバちやんが茶々を入れてきた。
「よしぢやあかうしよう、焼鳥五本で三百円、団子六本に五平餅二本で百ハ十円と百二十円で五百円丁度、これでええよな?」
店のオバちやんが勝手に決めるのにイヤマテ、それは六百円だらうと内心ツッコミつつ、折角面白い話が聞けたのでそれで良いことにした。
「お兄さん、どこから? 市内? 太田市内?*2」「名古屋から、自転車で」「ひえー」。
「他にスタンプラリーの客は見えられました?」「いいやあ、お兄さんが初めてやね」まあ、立地的にさうだらう。市街地から離れた処にある地元の人しか来さうにない小さな店構へで、軒先には店の向ひの小学校の学童達が書いたのであらう手書きのメッセージが貼り出してある。そんな店だ。そんな店だけど、俺の前後に途切れることなく客は来てゐる。そんな店だ。焼き上つた串物を包んで貰つて、サドルバッグに押込んで礼を言つて店を離れた。この店に来ただけで、ここに来た甲斐があつた。
美濃太田駅に戻り、観光案内所でスタンプ台紙を渡した。景品は三種類の木製の小さなバッジの中から一つ選んで貰へるといふもの。選べるのは林檎と農と「のうりん」タイトルロゴ。別にこれが欲しくて参加した訣でもないが農の絵が入つたバッジを一つ頂載した。

今日立寄つた店に限つて言へば、三店とも普通に繁盛してゐて「萌え起こし」なるものに頼る必要などどこにもなかつた。だからこんなイベントに意味がないといふ訣ではなくて、イベントを自己主張の種に採上げて利用する程の大袈裟なものでは全くなかつた、といふのが実感。当地でスマホを覗いて騒動の頴末を見てゐると、その中で騒いでゐる事のすベてが今ここに居る土地とは関係のない世界についてどうでもいい連中が中身のない空騒ぎをしてゐるだけだといふことがよく分る。批判も擁護も含めてね。騒動がなければ俺自身が自転車でここまで来ることはなかつたのは事実としても、それをもつて騒動自体を積極的に評価しようなどとは微塵も思はない。
太田駅の近くに転車台を見つけて眺めてゐたら日もいい加減傾いてきたので、駅前のベンチで焼鳥だけいただいてから太田の街を後にした。途中、いつものコーヒー店に寄つて豆を買つて帰宅。風呂で身体を温めてからまた家を出て、「ガールズ&パンツァー」のレイトショーに行つた。三回目の鑑賞。

*1:入院したのは美香、らしい。よく知らん

*2:地名は美濃加茂市だがかう訊かれた