大和但馬屋日記

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ラノベ超反応

ここ一年半ほどの間に、それまでの人生で読んだ冊数の十倍以上のラノベを読んだ(今は「ドクロちゃん」に初挑戦してるところ)ワシからみて焚書官さんの言つてゐることはものすごく当り前に思へるのだけど、「そんなのラノベだけぢやない」といふ反応が意外に多いな。よく分らない。それあ他でも同じことはあるだらう。ゲーム然り漫画然り音楽然り。でも、ラノベだけが特別でないのと同じ程度には、ラノベの状況はどこか異常*1。つか、みんなその異常さを面白がつてたんと違ふのかと、別の意味で驚いた。
そもそも焚書官さんはラノベ読みを否定してないわけだし。ゴミみたいなものがカチンと来たのなら、そんなときはあれだ、スタージョンの法則を思ひ出せ。ヲタク的消費行動なんて、ゴミの山から自分にとつての宝を掘り当てる所業に他ならん。その宝が他者からみればやはりゴミであつたとしても、んなこと気にする必要もないし。
別に今までワシが読んできたあれやこれが全部ゴミと思つて読んでた訣ではない。むしろ、ほとんどが宝だと思つてる。でも、自分にとつての宝が他者にとつてゴミとなり得ることを忘れたことは片時もない。もとより自分の好きなものの社会的・文化的位置付けなんてものに全く興味はなく、むしろ不必要にそのへんを持上げようとする動きに対して邪魔なことだと思つてる。
そんなワシは今、ワシの中のvm焚書官さんの中のvm勝ち組指向の焚書官さんに可哀相なものを見る目で見られてる。わはは。ほつとけや。

*1:他も異常だが、特に異常だとワシの目には映る

繋がるかどうかわからないけど

「強くなるとナカナカ楽しめない」、さうなのかな、まあ現象としてはさうなのだらうけど、あどさんが楽しめてないとは思へないので、どちらかといふと楽しみ方の質が変つたといふことなんでないかと。
ワシがあどさんと同じ酒の呑み方をしたら間違ひなく五年と経たずに死んでしまふから、ワシは下戸に毛が生えた程度にしか酒を楽しむことができない。といふかワシは酔ふこと自体を楽しめない人なので、美味い酒は呑みたいけれども一度に沢山は呑めない。
となると、酒に纏はる様々な楽しみの大部分をあどさんほどにはワシは知り様がない訣で、もしワシは今日から「今宵銀河を〜」キーワードであれは旨いこれは駄目だと書き始めたら、たぶんあどさんはそれを見ていろいろもどかしく思ふだらうなと想像できる訣です。でも、酒から得た楽しみの総量でいへばそれあ絶対に酒呑みの人の方が大きいわけで。
一方で、たぶんあどさんの中にも「vm健康指向のあどさん」が居て「深酒は身体に良くない」「その金と時間を別のことに使へば」と囁くことがあるんぢやないかと。まあ、それに耳を貸したりはしないでせうが。焚書官さんの書いたことつてそのレベルの話で、自分の中である程度結論が出てゐることについてのアンチ思考実験だつたのではないかなあと。ラノベ糾弾とかではなくて。
うまく纏められないけど、そんな感じ。
つか、SFやらミステリやらライトノベルやらゲームやら……。 - gobbledygookに大体同意であり、さういふことなのではないかと。
(自分語り部分はやつぱり関係ないので別記事に移動しました)

フェーズ1、2の定義に思ふこと

こちらも勢ひで焚書官さんの定義を借ります。

  • フェーズ1:ジャンルに飽きてない。ジャンル内の諸概念が面白い
  • フェーズ2:ジャンルに飽きてきたが、そのぶん自分の中に理想の**が生成されている

ビデオゲーム系のサイトといふかブログ界隈で特に目に付く気がする現象がある。それは明らかにフェーズ2に入つた人が「フェーズ1とかフェーズ0*1の人がどう思ふか」を無闇に深刻に捉へて、その視点から何か言はうとすることだ。ジャーナリスティックな見方といふことも可能といへば可能だが、それはゲハ板住人との同質化ともいへる。いや別にそれが悪いといふ訣ではないよ。
で、何だか知らないけど、ブログなんかに限らず、ビデオゲームに関する大つぴらな言説つてどれも判で押したやうに「フェーズ1以前の人にどうおもてなしをするか」みたいなことしか念頭に置いてなくて、それも作る人や売る人が言ふだけならまだしも、買つて遊ぶ方までが妙にさういふ層を気遣つた発言をしてしまふ。「○○な人なら楽しめると思ひます」とかなんとか。知るかそんなん(ごめん)。それだけならまだしも、「○○な人のことを考へてないからこの作品は駄目」とか。その○○な人つて具体的に誰のことだよここに連れて来い今すぐ。
かうした、フェーズ1以前の人を不必要に意識する言説が蔓延るのはビデオゲームにだけ特殊な現象なのかしらん。ハードのシェア語りとか販売本数語りと相性が良く、天気の話と同じくらゐネタにし易いのは分るんだけど、まあ、天気の話よりもつまらんなあとは思ふ。
「某2」に関していへば如何にもさういふ人に受けの悪さうなタイトルなので、余計にネガティブ評価ばかりが目に付くんではないかなと思つた。ただ、作る側が「フェーズ2」を主要ターゲットとして見てゐたかどうかも疑問だけど。ゲーム業界で「大作」をさういふ視線で作るのは難しいし、本当にそちら狙ひならばあんなに各界の著名人を集めて売りにはしない気が。
たぶんメーカー的には(あくまで表向きは)、「何年も前の一作目からのファンの人たちが今もフェーズ1のまま無邪気に新作を待つてくれてゐる」と考へてゐるのではないか。といふか、さう考へなければとてもやつてられないんぢやないかな。作つて売る側からすれば、フェーズ2以降つていふのは数も考へ方も想像しにくいといふか想像したくない相手だつたりするし。イメージとしては「フェーズ3」にまで至つた作る側の人たちが、「時に貴方は自分でこれを買ひますか」といふ問ひから目を逸らすやうな感じで。嫌な想像だな。
遊ぶ側は遊ぶ側で、自分はいつまでもフェーズ1に居ると思つてる人も多さうだ。ラノベ超反応もそのあたりから起きてゐる予感。
どうあれ、ワシは尻の評価が一番興味あります。

*1:ジャンルに入つて来ようとする人たち、あるいは一見さん、業界用語的にはライト層

今日のゲーム(七月二十四日)

ジオメトリーウォーズ(Xbox360,Microsoft)

廃人、といふのだらう。ひたすら「ジオメトリーウォーズ」を操作する一個の機械。それ以外の時間はただの抜殻。
何も考へずに五十万点台は出る様になつた。しかし百万点を超えられん。今九十三万点台。
ここ数日の「今日のゲーム」エントリはをかしなことになつてゐるけれども、これはどうやら焚書官さん仰るところのパーフェクトなストーリーは読者の脳内にしかない、という話が、いきなり現実にあるものとして目の前に差し出された状態なわけです。四半世紀ほどもビデオゲームに明け暮れて、タイトル数で言つたら数へてないけど数へきれないくらゐのゲームで遊んで、自分の中にある「パーフェクトなゲーム像」といふのが形成されてきた、それが脳内でなく目の前にあるといふ驚愕。これは残念ながら他の人と共有はできない。だから殊更に他人に薦めようとも思はない。
他の人と言はず、たとへば高校生の頃のワシ自身に今ある「ジオメトリーウォーズ」を突きつけても、たぶん「ふーん」で終つてたと思ふ。ゲームの嗜好そのものにそれほど変化はなくても、見てゐる世界が全然違ふ。「アルカノイド」は邪道だと憤つてベーマガに投稿までして採用されてしまつた(アイタタタ)あの頃の自分に、これを受容れる枠組は出来てなかつただらう。
長く続けた末に起こる現象のひとつがこれ。今後ゲームとの付合ひ方が変るかどうかまでは、今はまだ分らない。