大和但馬屋日記

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ARIA The NATURAL #9

yms-zun2006-06-30

長らく放置してしまつたのは第八話が良すぎてそれ以降の感想を書く気が起らなかつたため。第十三話がこれまた素晴しかつたので、それをモチベーションに遅れを取り戻すことにしますよ。
といふわけで第九話。第一期第五話を凌駕するほどの「素敵」連発エピソード。しかし台詞に出てくる「素敵」の数と映像の素敵さ加減は反比例するのがアニメ版「ARIA」の法則と諦めるしか無い様な出来だつた。コンテは後藤圭二だが、駄目すぎた。灯里に普段やらない様な表情とポーズをとらせたり、アリシアの見習時代を出すだけで満足してしまつたのだらう。映像として見るべき点は全くなし。
「素敵」を連発しすぎる脚本もどうかとは思つたが、それを狙ひとしてみるならばむしろ良く頑張つてゐた。その「素敵」を絵で表現できなかつたコンテ以降仕上げまでのすべてが悪い。

ARIA The NATURAL #10

話も映像も高水準とはいへないものの、まあ普通。ただ佐藤順一の肩書きのひとつである「シリーズ構成」といふ仕事に大いに疑問をもつた一話。さう思つた原因は二つある。
ひとつは、「灯里先輩て、何気に知合ひ多いですよね?」といふ話をなぜ第八話の後にするのだらうかといふ点。第八話でアリスが灯里に出会つた時、暁がアリシアに贈るために買つた大量の薔薇の花を見て「私はてつきり、灯里先輩が街の人からもらつたのだとばかり」と勘違ひする台詞があつた。これは本当なら今回(第十話)のエピソードを受けて初めて言へる台詞である筈。第八話はそれ自体で極めて完成度の高い話だつたが、話数の順番を考へればそれよりも前に今回の話があるべきだつた。
もう一点は、ヴァポレットと呼ばれる水上バス。こんなでかいものが今まで全く映像の中に登場することなく、今回突然現れたことに対する違和感をどうしてくれるのか。第一期からここまでもさうだし、この話以降も映像の片隅にすら登場したことがない。もちろん原作漫画でもさうだけれど、アニメならば第二期の放送が決つた時点でこの話をやることが決つてゐたのだらうし、それならば街の風景の一つとして水上バスを入れておく事は可能だつた筈だ。
この二点がどちらもあまりにも唐突すぎて、「何故今頃になつて」といふ違和感ばかりが残つた。この作品におけるサトジュンへの不信感がまた一つ増した。

ARIA The NATURAL #11

ベネツィアンガラスの運搬に指名された灯里さん。話がしつかりしてゐて、映像もそれをうまく支へてゐた。普通に良い話。アニメなりにガラス製品の表現を頑張つてゐたし、心情表現も出来てゐたと思ふ。
「この世に偽物なんてない」といふ灯里の(たぶん、ひいては天野こずえの)信念が、下手をすると「アニメの出来がどんなんでもケチをつけないでね」といふ制作者のエクスキューズに聞こえてしまふのは、まあワシの心が汚れてゐるのだらう。でもね、原作にこの話があることを踏まへてワシも原作とアニメの比較による感想を排除することにしたのだから、ガラス工房のマエストロと同じ気構へでアニメとしての「本物のARIA」を見せてください。今回の話はさういふ決意表明と受取らせてもらふよ。

ARIA The NATURAL #12

二話仕立て。
Aパートの、暑い中を彷徨ふ灯里の周りに幻覚の屋台が次々出現する描写は、説明的すぎて嫌だつた。そこで視聴者と灯里を引剥がしてはいけない。灯里と視聴者の周囲に対する違和感を丁寧に一致させなければ、不思議系エピソードは失敗する。
Bパート。風鈴の話。いいんだけど、最後に「あれれ」と涙を流す灯里さんといふシチュエーションが、本来この話がオリジナルだつたのに第一期第五話で先に消費してしまつたのが少し残念。まあ、これは言つても仕方のない話。

ARIA The NATURAL #13

アリスが主人公の回。映像作品としてみて、ほぼパーフェクトに近い出来だと思つた。素晴しい。第八話は「教科書通りのアニメ演出」として完成度の高い回だつたけれど、今回はそれとも方向の異る、どちらかといふと映画志向の演出だつた様に思ふ。
アバンタイトルから、いつもと少し違ふといふ予感はあつた。背景と影のコントラストが若干高めで、「ARIA」らしくない。夏の暑さの強調表現としてさうするのは分るけれども、始まつてみれば「影」そのものが話の中心になつてゐた。なるほど。
背景ありきで進む話だつたから当然背景描写にも力が入つてゐたし、レイアウトやカット繋ぎも見事。「ARIA」ならではの要素もうまく咀嚼して取入れてゐて、観るのが楽しくて仕方のない回になつた。
最初に「ほう」と唸つたのはオープニングバックの展開。日向で遊ぶ街の子供たちの描写が積み重ねられていく。そこでもきちんとコントラストの高い影が地面に落ちている。その一連のシーケンスの締めとして、橋の上で猫を追ひかける子供達。猫が店のテントの上に飛上がり、そのまま画面右に逃げてフレームアウトする。子供達がそれを目で追ふ。絶妙のタイミングでアリスの漕ぐゴンドラがその方向からフレームイン。「子供から猫へ、猫からアリスへ」といふ視線の誘導が、そのまま今回のテーマであるアリスのどうしやうもない子供くささを象徴してゐて見事だつた。
今回の話は、たぶん台詞を全部なくしてBGMとSEとアテナの歌ふ舟歌だけにしても十分観るに耐える出来なのではないだらうか。背景が綺麗とか作画が良い悪いとかではなく、映像がきちんと「語つてゐる」。PIXARの作るショートコントを「カーズ」の試写会で観たから言ふ訣ではないけれど、方向性としてさういふものを目指して成功した回だつたと思ふ。正直、まさか「ARIA」でこれほどのものを拝めるとは思はなかつたよ。アニメスタッフには全く詳しくないのだけれど、今回ばかりはメモ。