大和但馬屋日記

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学者と作家の対立

id:genesis:20060407#cにて、塩野七生が著作の中で学者に嫌味垂れてるといふ指摘があつた。それにコメントもしたのだけれど、さういへばこんなことがあつたなと思ひ出したのでメモしておく。
小田中直樹が著書「歴史学ってなんだ?*1」(感想)の中で塩野七生の一連の作品を例に挙げ、学者と作家とを隔てる態度について書いてゐる。自分から見ればそれは務めて冷静かつ客観的に書かれたものだと思つたけれども*2、恐らくこれはほんの氷山の一角であり、多分「学者」サイドから相当な突上げが塩野に対してあるのではないかと想像できる。だとしたら、塩野のそれは「鬱憤晴し」だつたのかもしれない。
塩野の著作を読んだことがないのであくまでも想像にすぎないけど、一往さういふことがありましたよ、と。

*1:isbn:4569632696

*2:具体的な記述は手許に本がないのでまた後ほど

検索さんいらつしやい(四月十一日)

ワインのことはさつぱり分りませんねん。家にあるのは肉焼くときに味付けに使ふ安価いやつだけ。

[id:yms-zun:20051027#hanpanai]での無体さんの予言通り、「パネェ」の時代がやつてきた模様。
「半端ない」がどうもワシの中で据りが悪いのはたぶんかういふ解釈をしてしまふからだ。

半端ではない
文字通り、半端なものではない。枠に収まりきらない程に大したものである。
半端ない
半端がない。キッチリ割り切れてゐる。枠のなかに収まつてゐる。

といふわけで、「半端ない」といふ表現では全然半端ぢやない感じが出てない、むしろ金玉も尻の穴も小さく感じてしまふのだがどうか。

しがむ

「しがむ」といふ言葉は滅多に使はれないけれども、変種の「しがみつく」は今でも生きてゐる。漢字で書けば「獅噛付く」。獅子が噛付けば、それあ簡単には離れまい。また「獅噛み」は屋根の鬼板などに用ゐられる獅子をモチーフにした意匠の名前でもあるやうだ*1